(天理教の時間)
次回の
更新予定

第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1155回

水の中の泥

日常の心づかいの大切さを、折にふれてお諭しくだされた教祖。「水」と「泥」にたとえたお言葉から思案する。

水の中の泥

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、陽気ぐらしへ向かう道筋として、私たちの普段の心づかいが肝心であると、折にふれてお諭しくださいました。しかし、目に見えない「人の心」については、普段あまり意識する習慣のない人にとっては、なかなか分かりにくいものです。

教祖が教えられた「みかぐらうた」に、

  みづのなかなるこのどろう
  はやくいだしてもらひたい(十下り目 3 )

とあります。

ここで教祖は、「水と泥」のたとえを用いて、人の心について優しくお諭しくだされています。このお歌とともに教えられた手振りでは、「どろう(泥)」は、右手の指先でみぞおちを三回、小さくかきまわす動作をします。これは、泥が入っている水をかき混ぜると、たちまち水が濁ってしまうさまを表していると思案できます。

つまり、私たちがこの手振りのように、何か自分の心をかき乱される出来事が起こった時、心に泥のようなものが溜まっていれば、一瞬のうちに心を濁してしまうということです。

たとえば、夫婦の間でも、相手の何気ないひと言がきっかけで、突然に夫婦げんかが始まることがあります。それまでにお互いの言動にイライラすることがあったり、あるいは別の人との間で腹の立つことがあったりして、自分の心の中にストレスや鬱憤をため込んでしまっていることで、いわば心に火がつきやすい素地が出来上がっているのです。

そのようなストレスや鬱憤を「心の泥」にたとえ、それが心の底に溜まっていると、ちょっとしたきっかけで心がかき乱され、腹立ちや恨み心いっぱいの「濁った心」になってしまうことを、お諭しくださいます。

日々の生活の中で、周りの人から心ないことを言われたり、自分の思惑とは違う行動をされて戸惑ったりすることは必ずあります。泥水をきれいにするには、少し時間をおいて、泥が水の底に溜まってから泥をすくい出します。それと同じように、私たちも何か心に引っ掛かりが起きた時には、まず心を落ち着かせて、普段の心づかいをゆっくり振り返ることを大切にしたいものです。

教祖は、次のようにお諭しくだされています。

「人の言う事を腹を立てる処では、腹の立てるのは心の澄み切りたとは言わん。心澄み切りたらば、人が何事言うても腹が立たぬ。それが心の澄んだんや。今までに教えたるは腹の立たぬよう、何も心に掛けぬよう、心澄み切る教やで。」(「おさしづ」M20・3・22)

天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に

おすすめのおはなし