(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1150回

人生の引き算

人生の終盤にさしかかり、心の病を発症。これまでの「足し算」のような生き方は、もはやできないことを思い知った。

人生の引き算

 大阪府在住  芦田 京子

 

小学生の時から算数を習っている。足し算、引き算、掛け算、割り算。すべてはそれが基礎である。実際のところ、この四つの計算が普通にこなせれば、日常生活でそれほど不便は感じない。

子どもの頃は、そろばんができる子が羨ましかった。計算が早いどころか、暗算もできる。そろばんが身体の一部になっていて、瞬時に答えを導き出す。その後、計算機ができて、そろばんのできない私たちも、一瞬で答えを出せるようになった。計算が苦手な私は、どれほど計算機の出現に感謝したかわからない。

私は同じ計算でも、引き算よりは足し算のほうが好きだった。割り算よりは掛け算のほうが、なんだか楽しい。やっぱり基本的に、減っていくよりは増えていくほうが嬉しいのだ。

長い人生でも同じことだ。赤ちゃんは何も持たず、何もできない存在としてこの世に生まれる。一人でできるのは呼吸と排泄ぐらいだろうか。だからこそ、成人するまで手厚い保護を受けて、様々なことを学んでいく。いわば、できることをどんどん我が身に足し算していくのだ。

そしていつの日か、足し算の答えのピークを迎える。その数字の大きさは人によって違うだろうし、時期も異なるだろう。しかし、そのピークを迎えた時から、今度は引き算をしなければならないのではないか。

スポーツ選手の引退は、そのいい例だろう。現役としてはピークを過ぎた、これからは指導者としてやっていこう。あるいはそれも過ぎると、解説者になったりする。スポーツの世界は結果がはっきり出るので、ある意味潔いかもしれない。

それと比べて私たちは、しっかり自分を見つめていないと、ピークを見逃してしまうことがありそうだ。歳をとっても、いつまでも若くいたい、いくつになってもチャレンジするのは大切なことだ、などと、私も最近までそんな風に思っていた。

だが、そんな私に変化の時が来た。高齢者と呼ばれるちょっと前に、心の病になったのだ。晴天の霹靂だったが、それは私にとって大きなターニングポイントとなった。どんなことも頑張って乗り越えてきたこれまでの生き方が、もはやできない。ここで生き方を変えなければ、この先、自分はやっていけないと、その時私は思い知ったのだ。

体力も、気力も、知力も、これまで通りではない。もう、そういうことを頼りに生きていく年代は過ぎたのだ。これからは、自分にとって本当に大切だと思うことを選んで、世の中の価値観に惑わされずに一日一日を過ごしたい、そう思うようになった。

そうなると、必要なのは潔く引き算をすることだ。仕事でも交友関係でも、自然がいい。持ち物は、目に見えるものも、見えないものも含めて少しずつ減らしていくのがいい。自分の身体さえ、だんだんと思うようにならなくなっていくのだから、もっと身軽になりたい。

心の中もお掃除しよう。これまでの人生で、大なり小なり、人への恨みつらみがなかったとは言えない。でも、自分だって人に色んな思いをかけてきたのだ。人生はおあいこだ。忘れたほうがいいことは、さっさと捨てたほうがいいのだ。

考えてみれば、引き算をしていくことで、自分の人生における価値あるものが見えてくるのかもしれない。

本当に自分にとって大切なものは、最後の最後まで取っておくだろう。逆に、箱にしまって後生大事にとっておいた高価な食器のように、これまで大切にしてきたものが、実はなくてもちっとも困らないものだったりすることもある。人生の引き算は、計算の苦手な私にとっても、自分を見直す大切な学びとなった。

私の親しかったご婦人は、晩年になっても、いつもノートを手放さなかった。本を読んでは、何かノートに書き写していた。亡くなった後、そのノートを見せていただいたら、そこには自分の心の糧となるお話や、神様のお言葉が書き記してあった。

ご婦人は生前、「私ね、死ぬ前に、心の中にあるものをみんな流して綺麗にしてから、神様に迎えてもらいたいの」と、よく言っていた。心の中の様々な思いを引き算して、まっさらにするために、神様のお言葉やお話をノートに書き写し、繰り返し読んで自分に言い聞かせることで、人生の最後の仕事を全うしようとしていたのだろう。

一冊のノートは、心の中のお掃除をきれいさっぱりやり遂げた、ご婦人の努力の証だったのだ。

 


 

しあわせデッサン「『縁』の下の力持ち」
 「人間いきいき通信」2019年12月号より

諸井 理恵

 

「縁の下の力持ち」という言葉を聞いて、皆さんはどんなイメージを持つでしょうか。「目立つことなく大変な仕事をする、損な役回り」「表には出ないけれど、頼りになる陰の仕事人」。こんなイメージが一般的でしょう。きちんと仕事をする人は、ほとんどが「縁の下の力持ち」と呼べるかもしれません。

私の尊敬する人に、日々、縁の下にもぐって仕事をしている方がいます。どんな仕事かというと、家を支える大事な柱などを守る、シロアリ駆除の仕事です。この社長さん、依頼主とのコミュニケーションを楽しむ方で、その人柄からか、次々と仕事の依頼が舞い込んできます。狭い縁の下でほふく前進するので、身にこたえる仕事ですが、それ以上に、人との縁を楽しんでいる姿に、私はすごく共感するのです。

学生時代、私は演劇を学んだ経験があり、映像の世界で演じる機会を頂きました。それは、大好きな特撮ヒーローの世界でした。そこには、子供たちのヒーローの着ぐるみを着てアクションをする、いまではスーツアクターのレジェンドといわれる方がいました。窮屈なマスクとスーツを時折外しながらのリハーサルに本番にと、細かくアクションシーンを撮影していくのですが、その姿は、実に楽しそうに私の目に映りました。「子供たちの憧れのヒーローは、こうしてつくられていたんだ」と、陰の仕事人に感動したものです。

私は、園長を務める幼稚園の入園式や説明会などで、よく「縁あって」「縁があれば」という言葉を使います。それは、人がどういった環境や人間に出会うのかは、縁がなくては始まらないと思うからです。

この目に見えないご縁を頂くカギは、一人ひとりの思い、つまり心にあると思います。そして、その心が素直で前向きであれば、最も縁が得やすくなると感じています。幼稚園や学校は、そういった人々の「縁」によって成り立っています。その「縁」が育つ土壌をつくるのが、経営者であり教職員です。そしてその縁の姿は、経営者や教職員の心通りの姿を、そこに映し出しているように思います。

私は卒園児や地域の子供を対象に、バトントワリングのクラブを主宰しています。踊ることが大好きだった長女の姿をきっかけに「踊りたい子が踊れるクラブをつくる!」という思い一つで始めました。

私自身にバトンの経験はありません。小学生だった長女と次女に学ばせて、自分にできる裏方の仕事だけをやってきました。それでも代々活動してきた子供たちは楽しんでくれたようで、忙しいなかでも続ける子が多いクラブになっています。

また、田舎の弱小クラブにとっては、奇跡にも思える出来事がありました。園児の保護者で、世界チャンピオンになったことがある高校のバトン部の出身者が指導者になってくれたのです。結成十一年目の今年、念願の大会に出場することができました。

私は保護者の皆さんと共に、自分の見たかった世界を見て楽しんでいます。「縁の下の力持ち」を自負していますが、実は「縁」の下で大いに楽しんでいるのです。

これまでの学校のイメージは、とかく「指導する」「教え込む」ことが前面に出ていたように思います。習い事や部活動などの指導者で、それを第一に掲げる人も少なくないでしょう。ところが、世の中の空気も変わり、学校や会社などの組織のあり方にも変化が表れています。縁あって集まった人たちを下から支える長となる人は、縁を生かす場づくりを考えていくことが、新しい時代のリーダーシップになるのではと私は思います。

この世界は、陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと思われた、親なる神様の思いからできています。その親神様こそ、私たち人間にとって、きっと「縁の下の力持ち」そのものなのでしょう。

(終)

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