第1149回2021年10月23日・24日放送
をやの思い
児童虐待のニュースには耳を疑うばかり。教祖のお言葉から、親子の絆について思案する。
をやの思い
世間では連日、耳を疑うような悲惨な事件が相次いで起こりますが、中でも児童への虐待、殊に親が我が子を死に至らしめるというニュースには、胸が締め付けられる思いがします。
厚生労働省の定義によると、児童虐待は、殴る、蹴る、激しく揺さぶるなどの「身体的虐待」、家に閉じ込める、食事を与えないといった「ネグレクト」、脅しや無視などによる「心理的虐待」、そして「性的虐待」の四つに分類されています。
児童虐待に関する相談対応件数は、およそ三十年にわたって増え続けており、虐待による児童の死亡者数も年間五十人以上という高い水準で推移しています。
子育てに苦労が伴うのは当然ですが、我が子を慈しみ育てるのが親の役目であり、子供の成長を見守ることは、親にとってはこの上ない喜びのはずです。親の愛情を求めてやまない健気な心を拒絶し、挙げ句に手をかけるという行為は、たとえ親自身が不幸な生い立ちを経験していたとしても、決して看過できることではありません。
天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、直筆による「おふでさき」に、
せかいぢう神のたあにハみなわがこ
一れつハみなをやとをもゑよ(四 79)
にんけんもこ共かわいであろをがな
それをふもをてしやんしてくれ(十四 34)
と記されています。
また教祖は、
「神さんの信心はな、神さんを、産んでくれた親と同んなじように思いなはれや。そしたら、ほんまの信心が出来ますで」(教祖伝逸話篇104「信心はな」)
とお諭しくださいました。
我が子が可愛いという、親がごく自然に抱く感情、そして、子が親を無条件に信じ、慕う気持ち。この親子の絆こそ、神様が授けてくださったかけがえのないものです。それを、大人の都合や一時の衝動によって無にしてしまっていいはずはありません。