第1146回2021年10月2日・3日放送
同じ魂
人をうらやみ、見下す感情が行き交う社会。神様は「魂に高低はない」と仰せくださっている。
同じ魂
人はみな社会のどこかで、それぞれに生きて、それぞれの人生模様を織りなしています。人生には失意の時もあれば、得意満面の時もあるでしょう。時の流れの中での浮き沈みは、誰にだってあります。
問題は、失意の時にどのように自らを再生していくか、その対応の仕方です。今までの通り方の反省が必要かもしれませんし、次なる行動のために勇気を奮い起こすことも大切になってくるでしょう。
ここで拠り所になるのが、私たちは、生まれながらにして人間としての価値に違いはなく、誰もが等しく、親なる神様のお声を頼りに、生きる力を培っていくことができるという教えです。
天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、次のようなお歌があります。
高山にくらしているもたにそこに
くらしているもをなしたまひい (十三 45)
それよりもたん/\つかうどふぐわな
みな月日よりかしものなるぞ (十三 46)
それしらすみなにんけんの心でわ
なんどたかびくあるとをもふて (十三 47)
「社会的に高い立場にいる者も、そうでない者も、いずれも魂は同じであり、その本質において何ら変わりはない。そして、それぞれが毎日使っている身体は、すべて神が貸しているものなのである。その真実を知らずに、人間はとかく現実の立場や境遇の違いを見て、もとから高い低いの差があるように思い誤っている」
神様にしてみれば、世界中の人間は等しく皆可愛い我が子であり、その可愛さに誰彼の区別など断じてありません。我が身の不運を嘆く者があれば、いっそうその者に厚い親心をかけられるはずです。
私たちの暮らす社会では、人を羨んだり、見下したりする感情が行き交っています。そうして自ら高い低いの区別をつけることは、神様の親心に暗い影を落とすことであり、陽気ぐらしに反する言動であると言わざるを得ません。
皆が同じ魂を持ち、神様の公平なご守護の中で生かされていることを心に置き、互いにたすけ合う姿を持って、親の思いに応えなければならないと思うのです。