(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1140回

三つの宝

教祖が教えられた「朝起き、正直、働き」。その神意は、一般的な道徳や真面目な生き方を超えたところにある。

三つの宝

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、あるとき、信者の飯降伊蔵さんに、

「伊蔵さん、掌(て)を拡げてごらん」と仰せになりました。そして、籾を三粒お持ちになり、「これは朝起き、これは正直、これは働きやで」と、伊蔵さんの手の平に一粒ずつお載せになり、「この三つを、しっかり握って、失わんようにせにゃいかんで」とお話しくださいました。「朝起き、正直、働き」の教えを三つの籾に託し、しっかり守るようにとの仰せです。

この三つの言葉はもともと私たちにとって馴染みのあるもので、日本人の美徳とも言うべきものでしょう。

「朝起き」については、昔から「早起きは三文の徳」と言われている通り、朝早く起きることは健康に良く、仕事や勉強もはかどるので、必ず得をするということです。

「正直」とは、正しくてうそ偽りのないさまを表し、人に対してうそをついたりごまかしたりせず、常に誠実であれということ。

また、「働き」とは、単に仕事をするという意味ではなく、まめに働く人を「働き者」と呼ぶように、勤勉であることや、自分に与えられた持ち場や役割を責任を持って勤める、というニュアンスも含まれているでしょう。「朝起き、正直、働き」の三つを心がけることは、人としての立派な生き方の基本であると言えます。

しかし教祖は、この教えによって、単に道徳的で真面目な生き方を示されただけではありません。教祖はのちに、伊蔵さんの長女である飯降よしゑさんに、

「朝起き、正直、働き。朝、起こされるのと、人を起こすのとでは、大きく徳、不徳に分かれるで。蔭でよく働き、人を褒めるは正直。聞いて行わないのは、その身が嘘になるで。もう少し、もう少しと、働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで」(教祖伝逸話篇111「朝、起こされるのと」)

と、さらに掘り下げてお諭しくだされています。

このお言葉によって、教祖は、私たちが毎日の暮らしの中で、どのようにして徳を積むべきかということを教えてくださいます。徳とは、私たちが神様からご守護をいただく上での、そのお働きの元となるものと言えるでしょうか。

朝起きるとき、「眠たいなあ。もう少し寝ていたいなあ」と感じることは誰にでもあるでしょう。そこを誰よりも早く起きて、人がうっかり寝過ごしてしまわないように、起きるべき時間に声をかけてあげることは、大きな親切であり、徳積みになるというわけです。

正直については、特に蔭での行い、人目につかないところでの行いが肝心であることを仰せられています。誰しも人の視線や自分に対する評価は気になるもので、人の前では頑張ろうとしますが、人目につかないところでは手を抜いてしまうことも…。そんな気持ちを乗り越え、神様はいつでもご覧になっているとの思いで、徳積みを実行することが大切なのです。

また、働きについては、自分の与えられた責任を果たすことに加え、「もう少し、もう少し」と、さらに働きを上乗せする。そのプラスアルファを、神様は真実としてお受け取りくださることをお示しくださいます。

この「朝起き、正直、働き」の三つの教えを籾に託してお諭しくださったことには、大きな意味があるように思います。

籾はお米の種に当たるもので、きちんと蒔いて丹精すれば、一粒の籾はやがて何倍にもなって私たちの元に返ってきます。ところが蒔かずに放っておくと、時間と共に形は崩れ跡形もなく消えてしまいます。この教えも、ただ知っているだけでは宝の持ち腐れ、実行するからこそ宝のような値打ちが生まれてくる、ということではないでしょうか。

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