(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1139回

見栄っ張り

見栄っ張りのAさん。高価な物を買ったり無理な頼み事を引き受けて失敗もしばしば。教えに沿ったアドバイスを。

 
見栄っ張り

 

平凡でつまらない人間だと思われるのが嫌で、つい身の丈に合わない高価な時計やスーツを買い求めてしまうというAさん。無理をしてローンを組むので、経済状況は悪くなるばかりです。他にも、人が嫌がるような仕事やプライベートな頼まれ事も、見栄を張って引き受け、失敗してしまうこともしばしば。「またやってしまった…」と後悔することも多いのだとか。どうにか、この見栄っ張りな性格を直したいといいます。

自分で自分の性格を変えるのは難しいことですが、教えに沿って考えてみましょう。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」が仰せられた、次のようなお言葉があります。

「お屋敷に居る者は、よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、と思うたら、居られん屋敷やで。よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。これが、世界の長者屋敷やで」(教祖伝逸話篇78「長者屋敷」)

これは、教祖のいらっしゃるお屋敷でつとめる者の心構えを諭されたお言葉ですが、いまを生きる私たちの誰もが心掛けるべきことではないでしょうか。何事においても、まずは今自分に与えられているそのままを「これで十分結構だ。ありがたい」と喜ぶこと。それができたら、もう何不自由ないのと同じです。いつでもどこでも、とても豊かな気持ちで生活できるはずです。

逆に、人と比べて不足をしたり、自分にないものを欲しがったりすれば、生活自体がみじめでつまらないものになってしまいます。無理をして高価なものを身につけても、ありのままの自分が余計に貧しく感じられてしまうだけでしょう。

その一方で、人が嫌がるような仕事や頼み事を引き受けるのは、決して悪いことではありません。その達成に向けて懸命に努力すれば、自信にもつながるでしょう。ただ引き受ける場合にも、自分の身の丈にあっているかの冷静な判断は必要です。その場限りの見栄で、ただ評価してもらいたいがために無理をしてしまっては、後悔するのは目に見えています。

もしかすると、Aさんの周りには、人がうらやむようなお金持ちや才能あふれる人たちがいるのかもしれませんが、何もその人たちと比べる必要はありません。普通であること、平凡であることはむしろ喜ぶべきことです。何より健康に恵まれ、仕事ができているのですから、これ以上の喜びはありません。

神様のご守護によるこの世界は、よいものを食べたり、よいものを着たり、よい家に住むのとは別の、もっと大きな喜びで満ちあふれているのです。

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