(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1126回

家族の歴史を知る

近年「家族史」への興味が高まっている。自分とは何者か?と問う時、先祖の存在を抜きにしては語れないだろう。

 
家族の歴史を知る

 

自分の先祖のことを詳しく知っているという人は、今の日本にどれぐらいいるのでしょう。核家族が当たり前となり、親から子へ、子から孫へと「家族の歴史」が語り継がれる機会は確実に減っています。

ところが近年、この「家族史」への興味から、「我が家の家系図を作って欲しい」という専門家への依頼が増えていると言います。一旦先祖代々の土地から離れ、都市部へ移り住んでしまうと、三、四代前の先祖がどこで何をしていたのかはおろか、名前すら分からないというケースも多く、あらためて自分のルーツを知りたいという欲求が高まっているのです。

曽祖父母や高祖父母といった存在には、たとえ実際に会ったことがなくても、その人間性や価値観の影響を、祖父母や両親を通じて私たちは必ず受けているはずです。「自分とは一体何者なのか?」と思いを馳せる時、そうした先祖たちの存在を抜きにして理解することは難しいのではないでしょうか。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、家族が代を重ねて信仰を続けていくことについて、

「神様はなあ、『親にいんねんつけて、子の出て来るのを、神が待ち受けている。』と、仰っしゃりますねで。それで、一代より二代、二代より三代と理が深くなるねで。理が深くなって、末代の理になるのやで。人々の心の理によって、一代の者もあれば、二代三代の者もある。又、末代の者もある。理が続いて、悪いんねんの者でも白いんねんになるねで。」(教祖伝逸話篇 90「一代より二代」)

と仰せられ、代を重ねた信仰によって、真にたすかる姿をお見せいただけるのだと教えてくださいます。

また、『天理教教典』には、

「いんねんも、一代の通り来りの理を見せられることもあれば、過去幾代の心の理を見せられることもある。己一代の通り来りによるいんねんならば、静かに思い返せば、思案もつく。前生いんねんは、先ず自分の過去を眺め、更には先祖を振り返り、心にあたるところを尋ねて行くならば、自分のいんねんを悟ることが出来る。これがいんねんの自覚である。」(第七章 かしもの ・かりもの)

と記され、先祖代々の通り方を振り返ることが、自分自身の今を知ることになるのだとお示しくださいます。

いずれにせよ、先祖が通って来た道のおかげで今の自分があることは、疑いようのない事実。先祖の来し方を振り返ることで、これからの歩むべき道筋が見えたり、また自分自身の隠れた一面を発見することもあるのではないでしょうか。

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