第1124回2021年5月1日・2日放送
仕合わせを良きように
皆が幸せに暮らせるように、お計らいくださる神様。「おふでさき」からその親心を味わう。
仕合わせを良きように
「どんなときに幸せを感じますか?」と聞かれたら、皆さんは何と答えますか?
たとえば志望校に合格したり、希望する会社に就職できたなど、自分の望みがかなった時、結婚や出産といった人生の節目、また日常においては、家族や大切な人と過ごしている時、スポーツなどの趣味を楽しんでいる時、おいしいものを食べている時など、色々あると思います。
一方で、病気や事情など、思いがけない出来事に悩み、苦しむこともあります。人生には実に様々なことが起こります。そんな時、幸せとは一体何だろうかと、しみじみ考えることもあるでしょう。
幸せは、かつては仕事の「仕」という字に「合わせる」という漢字を当てていました。動詞の「する」が変化した「し」に「合わす」が結びついた「しあわす」が元になっています。つまり、様々なことが重なり合って物事は成り立つという意味で、「めぐり合わせ」や「運命」といったニュアンスが強かったのです。
ゆえに、「仕合わせが良い」「仕合わせが悪い」と、起きた出来事に対して、良い意味でも悪い意味でも、どちらにも使われていた言葉でした。それがいつしか、起きたことの中から「良いこと」だけを「幸せ」と言うようになり、「幸い」という漢字が使われ始めたのです。
人生、良いことばかりではありません。マイナス面だけに焦点を合わせると、つらく悲しいばかりです。しかし、その裏には大きな喜びが隠されている。そう気づくことによって、仕合わせた出来事が良い、すなわち「幸せ」だと受け止めることができるのです。
天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、
しやハせをよきよふにとてじうぶんに
みについてくるこれをたのしめ (おふでさき 二 42)
とあります。
神様は、世界中の人々が、仕合わせが良いように、つまり幸せになるようにと親心をお掛けくださっている。神様の思召しに沿って確かな道を送る者には、幸せが十分に身についてくるから、それを楽しみに暮らすようにと、私たちを励ましてくださるのです。