(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1111回

親子ツバメが飛んできた!

馴染みのない神戸での教会生活。神社のトイレ掃除を通じて知り合ったおばあちゃんが、心の支えになった。

親子ツバメが飛んできた!

大阪府在住  芦田 京子

ほんのわずかな間ではあったが、天理教の教会の会長を務めた。人生の大半を過ごした東京・八王子の教会を離れて、馴染みのない神戸に教会を新設した。

リーフレットを持ってしょっちゅうご近所さんをお訪ねしたが、やはりすぐには親しくなれなかった。これまで共に過ごしてきた家族や信者の方々、友人たちと離れてまでも、この地で人だすけの場所を作りたいと願ってやって来た私は、毎日心のどこかで寂しさを感じていた。

季節は晩秋。教会の目の前にある神社の境内では、もみじの葉が赤く色づき、やがて落ち葉が舞い散るようになった。八王子の教会でよく庭の掃除をしていたことを思い出し、思い立って毎日、神社の落ち葉掃きをするようになった。
そのうち、神社のトイレを利用する人が意外に多いことに気づいて、「そうだ、トイレも掃除しよう」と思った。

お掃除が終わると、私は、教祖中山みき様が、ある時、「行く道すがら神前を通る時には、拝をするように」(教組伝 56ページ)と仰ったことを思い出し、神社の神様に参拝した。

「最近こちらに参りました、天理教の教会の芦田と申します。この土地の方々のお役に立ちたいと願っております。どうかよろしくお願いします」と祈願し、ジャラジャラと鐘を鳴らした。

そのうち、あるおばあちゃんと知り合いになった。すぐ近所に住んでいて、ずっと前から神社のトイレ掃除を続けているそうだ。九十歳を過ぎて毎日はできなくなっていたので、たまに来るとトイレが綺麗になっているから、「誰かたすけてくれてはるんやな」と、喜んでいたという。

すぐ親しくなって、教会に参拝に来てくれるようになった。働くことが大好きで、若い時にご主人と別れてからは、六人の子供を一人で育て上げたという。
身体の具合の悪いところに、少しでも良くなって欲しいと願って、「おさづけ」というもので祈りを捧げると、「あんたにお願いしてもらうと、すぐ良くなる」と言ってくれた。

ある日、しばらく教会を留守にしていたので、久しぶりに神社のお掃除に行くと、トイレがひどく汚れていた。
「おばあちゃん、来てないんだな」と思った。

きっと何かあったに違いないと思いつつ、私は家を訪ねることをためらった。以前、おばあちゃんが「ここに来てること、家の者には内緒にしてるから」と言うのを何度か聞いていたからだ。

しかし、行かなければ何があったか分からない。
思い切って訪ねると、お嫁さんが出てきた。おばあちゃんは体調を崩して入院したという。お見舞いには行けないということだった。

私は東京から神戸に来て、近所に誰も親しい人がいない時に、トイレ掃除を通じておばあちゃんと親しくなれてとても嬉しかったと、感謝の思いを伝え、小さなお人形と手紙をお嫁さんに託した。

それからしばらくして、そのお嫁さんが神社の境内を行ったり来たりしているのを見た。あれは、お百度参りだったのかもしれない。

おばあちゃんは、いつまでも退院しなかった。
それから新型コロナウイルスが流行し始めた。教会を息子に譲った私は、神戸には月に一度行くだけになり、おばあちゃんのことが気になりながら、どうすることもできなかった。

ある時、教会に帰ると、おばあちゃんが亡くなったと息子が教えてくれた。お嫁さんが、生前は大変お世話になったと、わざわざ伝えに来てくれたそうだ。
早速訪ねると、お嫁さんのご主人がおられて、おばあちゃんのご仏前にお参りしたいと言うと、家に上げてくださった。

「おふくろは94歳でした。若い時から働いて働いて、私らきょうだいを育ててくれました。気も強かったです。しっかり者でした。90過ぎても、洗濯もゴミ出しもしますねん。『うちらが格好悪いから、もうやめといて』言うてやめさしましてん。それが良くなかったんかなと思うたりしてます。

おふくろが亡くなってから、ある日、朝玄関開けたら、ツバメの親子が家に入ってきて、部屋の中まで飛んできましてん。それも二日続けて。母は私の妹を小さい時に亡くしてますんで、おふくろと妹が一緒に帰って来たんかなあと思いました。そのツバメが、帰って行く時に、バーッとフンをしよりましてな。そのフン、掃除せんと置いてあります」

そう言って、消毒液の入ったスプレーについたままのフンをわざわざ持ってきて、見せてくれた。私よりずっと年上なのに、そのご主人が何だか、お母さんがいなくなってしょんぼりしている幼子のように見えた。

そのうちお嫁さんが帰ってきて、お茶を入れてくれた。
私が「以前、奥さんがお百度参りされているのを見ました」と言うと、ご主人は驚いたようにお嫁さんの顔を見た。

もしかしたら、おばあちゃんとお嫁さんは、かつて険悪な時もあったのかもしれない。でも、長い間に、やっぱり愛は育まれていたのだ。おばあちゃんらしい、悲しくて、そしてちょっぴり楽しい話だった。

おばあちゃんがくれたお供えの袋、トイレ掃除をする時に、と言って渡してくれた手編みのアームバンド、今でも大切にとってある。

おばあちゃん、何もしてあげられなくて、ごめんなさい。もっと一緒にトイレの掃除したかったな。いつまでも忘れないよ。ありがとう、おばあちゃん。

 



お誓い

 
天理教を熱心に信仰している、ある家庭でのお話です。

小学三年生の正夫君が、学校から帰ってくるなりお父さんに、「友達とえべっさんに行ってくる」と言って、急いで出かけていきました。

「えべっさん」とは、近所で毎年行われている蛭子神社のお祭りのことです。
お父さんが「えべっさんって、どんな神様なの?」と聞くと、正夫君は「商売繁盛の神様だよ」と答えました。さらにお父さんが「どうすれば、その神様からご守護がいただけるの?」と聞くと、「蛭子神社で参拝して、吉兆っていう笹につける飾りを買って帰ると、ご守護がいただけるらしいよ」と正夫君は説明しました。

「よく知ってるなあ」と感心したお父さん、これはいい機会だと、核心に入った質問をします。「じゃあ正夫、天理教の神様はどんな神様?」すると正夫君は、当たり前のように「元の神様、実の神様でしょ?」と。

この家庭では、毎晩夕づとめをつとめた後、次のような言葉を家族みんなで唱えています。


私たちの親神様は、天理王命様と申し上げます。紋型ないところから、人間、世界をお造りくだされた元の神様、実の神様であります。

親神様は、教祖をやしろとして、その思召を人間世界にお伝えくださいました。私たちは教祖によって、初めて親神様の思召を聞かせていただきました。

教祖は中山みき様と申し上げます。

親神様は、陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと思召されて、人間をお造りくださいました。陽気ぐらしこそ、人間生活の目標(めどう)であります。


人類のふるさと「ぢば」で聞かせていただく神様のお話を「別席」と言いますが、これはそのお話を聞く前に唱える「お誓いの言葉」で、言わば信仰を始める上での入り口に立ち、心構えを述べるものです。

「毎日唱えている甲斐があった」。
息子の成長を嬉しく思いながら、お父さんはさらに尋ねます。「じゃあ、親神様からはどんなご守護がいただけるの?」すると正夫君は「陽気ぐらし!」と元気良く答えました。お父さんにとって、これ以上嬉しい答えはありません。

このような親子の会話は、お父さんにとって「果たして自分は日々、陽気ぐらしができているだろうか」と自らを省みる機会となったようです。

朝夕真剣に神様に祈り、喜びと感謝の心いっぱいに通ろうと思ってはいるものの、不都合な出来事に直面すると、すぐに心を曇らせてしまう。
成長著しい我が子のお手本となるためにも、家族とともに陽気に勇んだ日々を送ろうと、お父さんは誓いを新たにしたのです。

(終)

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