第1107回2021年1月2日・3日放送
神様のふところに住む
神様の実体は目に見える形ではない。私たちにお与えくださる数多の恩恵、そのお働きこそが実体である。
神様のふところに住む
子供の頃、「どちらにしようかな、天の神様の言う通り…」と歌って遊んだ記憶はないでしょうか。歌っている子供たちが、本当に神様を信じていたかどうかは分かりませんが、何とも無邪気なものです。
特定の宗教を信仰している人は、当然神様の存在を疑っていません。それでも、「神様を見たことがあるか」という問いに、「ある」と答える人は少ないのではないでしょうか。
神様の存在は感じるものであり、それには神様の実体を知る必要があります。実体とは目に見える形ではありません。神様はどのような営みを通して私たちに恩恵を与えてくださるのか、その本質を知らなければならないのです。
天理教教祖・中山みき様「おやさま」の直筆による「おふでさき」に、
たん/\となに事にてもこのよふわ
神のからだやしやんしてみよ(3号 40)
にんけんハみな/\神のかしものや
なんとをもふてつこているやら(3号 41)
とあります。
私たち人間が住んでいるこの世界は神様の身体であり、その働きの中に住まわせて頂いている。そしてこの身体も、神様からお借りしているものである。神様のご守護が隅から隅まで行き渡っているのがこの世界であり、天理教ではこれを「神様の懐住まい」と教えられています。
「ふところ」とは、ものの内側、内部のこと。周りを温かく包まれながら、時には甘えたり、叱られたりしながら、親にもたれ切ることのできる安心感で、私たちは毎日を生かされているのです。この世で繰り広げられる営み全ては神様のご守護によるものであり、これこそが神様の「実体」であると言える訳です。
私たちは、神様の懐でなければ生きていくことができません。神様が、私たちに陽気ぐらしをさせてやりたいとの思いで準備万端用意してくださるこの世界を、わが身勝手な思いで汚してしまわないよう努めたいものです。