(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1103回

〝クソババア〟は、愛の言葉

実家の母親が認知症になった友人。義母の介護を経験した上から「お嫁さんの気持ちがよくわかるの」と。

 〝クソババア〟は、愛の言葉

 大阪府在住  芦田 京子

久しぶりに、友だちに会った。友だちっていいものだ。人には言えない胸の内も、さらさらと言えてしまう。家族がいればいいという人もいるかもしれないが、私たちはそもそも、家族のことで一番悩むのではないだろうか。

友人は、これから実家に帰るという。実家は遠いが、母親が認知症になって、弟のお嫁さんに苦労をかけているそうで、「時々は様子を見に行かないとね」と言っていた。

友人の母親は最近になって、勝手にどこかに行ってしまったり、自分の物がなくなった、などと言うようになったという。友人は、弟のお嫁さんから泣いて電話が掛かってくると、「うん、うん」と話を聞いてから、「ほんとに、どうしようもないクソババアだね」と言うのだそうだ。

私は、彼女の口からそんな言葉が飛び出したので、びっくりして、一瞬聞き間違いかと思い、「えっ、今なんて言ったの?」と聞き直した。
すると、「私も主人の親と同居していたから、弟のお嫁さんの気持ちがよくわかるの」と言って、こんな話をしてくれた。

彼女が嫁いで間もなく、子育ての真っ最中に、ご主人の母親が倒れ、やがて全面的な介護が必要な状態になっていった。今ほど介護に対する社会的なサービスも整っておらず、彼女は家での介護に時間も労力も奪われ、何より精神的に辛かったという。

天理教の教会に嫁いだ身として、一般の信者さん以上に、苦しいことも喜びに変えて、家族にも周囲の人にも笑顔で接しなければいけないと、頭では分かっていてもそれができない。こんな私をみんなはどう思っているのだろう、陰で何て言われているのだろうと思い、苦しんだそうだ。

そんなある日、何かの機会があって親族が集まった。大切な会食の場で、例によってご主人の母親が粗相をしてしまった。楽しいはずの集まりに何とも言えない空気が流れる中、顔を引きつらせ、その後始末をする彼女に、ご主人のお兄さんが声をかけた。

「なんだ、みそもくそも一緒じゃないか。これがほんとの〝クソババア〟だ」。そう言って、カラカラと笑ったという。それを聞いたみんなも、どっと笑った。

「こんな品のないこと言って、ごめんなさいね。でも私、その言葉を聞いて体の力が抜けて、心が軽くなったのよね」。

そう言った彼女の目には、涙が光っていた。
実家の母親のことを、弟のお嫁さんと一緒になって「困ったクソババアだねえ」と言うのも、介護の苦労を経験した彼女の優しさなのだろう。

「私だって本当は、自分の親のこと、そんなふうに言いたくないの。母がどんなに苦労して父を支え、私たちを育ててくれたか知ってるもの。だけど今、私にできることは、何とか弟のお嫁さんの心の支えになることと、たまに実家に帰った時に、母の望むささやかな身の回りの世話をすることしかないと思ってるの」。
そして彼女は、実家に帰って行った。

私は幼い時、親戚の家に養女に行ったのだが、40年前、跡取り娘として結婚を控えていた私に、生みの母が言った。
「京子ちゃん、ご主人になる方は、これから大変なご苦労をされるのよ。それを忘れたらダメよ」と。

母は私と違って跡取りではなく、嫁入ったのだが、夫は自分の父親の部下だった。私の父は、言わばお婿さんのような立場である。破天荒な上司に仕えるのは容易なことではなかったようで、父は行き場のない思いを、よく母にぶつけていたという。

「私はね、尊敬しているお父様のことをあれこれ言われるのが辛くて、うつむいてジッと黙って聞いていたわ。でもね、それじゃあ男の人の気は晴れないのよ」。
そう言って、母は妹のS子おばちゃんの話をしてくれた。

「実はね、S子ちゃんも私と同じ立場だったのよ」。
叔母も父親の部下に嫁いだのだった。

「でもね、私と違ってあの子はご主人が不足をすると、一緒になってけちょんけちょんにお父様のことをけなしたのよね。終いにはご主人が『お前、そこまで言わなくてもいいじゃないか』って止めるほどだったのよ。S子ちゃんは、夫様の心を晴らす方法を知っていたのね」。

そして最後に言った。
「京子ちゃん、男の人って、とても大事なものよ。たとえ寝たきりになったとしても、いるのといないのでは大違いよ。大切になさいよ」。

それが、早くに夫を亡くした母の、結婚する私へのはなむけだった。母の言葉は、今も心に生きている。

人の心を温め、癒やし、再び明日を生きる勇気を取り戻してもらうのは、容易なことではない。それはまるで、深い森に分け入って、木立をかき分けながら、一筋の細道をたどるようなものである。
もし、その道を照らすカンテラがあるとするなら、それは、目の前の人を限りなく愛する心だと思う。

 


 
神様からの宿題 ~笑顔の処方箋~
   (人間いきいき通信2002年4月号より)

人は誰しも、いつも笑顔で幸せに生きていたいと思うものだ。しかし、そうはいかないことが多いのも、これまた人生である。

たとえば、突然の病気や家族の問題などに直面したときに、「大変だね。頑張ってね」という周囲の慰めや励ましの言葉さえも、かえってつらく感じたり、腹立たしく思ったりしてしまうことがある。
渋い顔や苦しい顔をするより、笑っていたほうが自分にも周囲にも良いと頭では分かっているのだが、実行するのはむずかしい。

以前、知人が重い病気になり、体の回復と平癒を神様にお願いするために毎日病院に通っていたときのこと。
四人部屋の同室の患者さんに、とっつきにくい感じのAさんがいた。Aさんは、大きな手術を繰り返し、体中を包帯で巻かれ、車いすでなんとか移動できる状態だった。
私が知人と話し始めると、いかにも迷惑そうに咳ばらいをしたり、ラジオのボリュームを上げたりした。あいさつをしても、無視されたり、にらまれたりするので、正直、苦手だった。

ある日、たまたま三歳の息子を連れて病院を訪ねた。
知人と話していてふと気がつくと、息子がAさんのところへ行き、
「おじちゃん、どうしていっぱい包帯してるの?」
「どうしてアンヨしないの?」と話しかけている。
〝しまった!〟と、冷や汗をかいて振り向くと……。

「これはね、おじちゃんの体の中に悪い病気の虫が入って、大きくなったから〝チョキン〟って切ったんだ」
「痛かった?」
「痛かったよ! だけど頑張ったよ。いまね、歩く練習してるんだよ」

Aさんは息子に、こう話してくれていた。
そして「おじちゃん、ガンバってね!」と言う息子に、「うん、ありがとう。頑張るよ」と、ニコッと笑って応えてくれた。

「子供が失礼しました」と謝る私にも、
「いえいえ、あんなふうに無防備に笑いかけられたら参りますね。私も久しぶりにいい気分になりました。実は、自分の体のことで毎日イライラしてばかりいたんです。人に八つ当たりしても同じってことは分かってるんですけどね。自分でもどうしようもなくて」と、初めて笑顔で話してくれた。

私は、それまで先入観をもってAさんを見ていた自分を恥じた。
〝下手に関わって嫌な思いをしたくない〟と防備して、とっつきにくい人だと決め込んでいたのだ。病む人に対する「素直さ」も「優しさ」も欠けていたことを、息子を通して神様から教わった気がして、心から反省し、感謝した。

「ほほ笑みを忘れた人ほど、それを必要としている人はいない」という言葉がある。Aさんは、決して笑える心や笑顔をなくしてしまっていたのではなく、笑顔を出すタイミングを失っていただけなのだ。

いまアメリカでは、「コンパニオンドッグ」という、患者に忠実に寄り添う訓練を受けた犬が活躍しているそうだ。
患者が病気の治療や介護など、他人から世話をされるだけでなく、自らが愛情を与えたり、世話をしたりする対象を持つことで、人間が本来持っている自己治癒力が高まるという研究結果が出ているそうである。

そういえば、私にもこんな覚えがある。
以前、手術を受けて退院した後、甥っ子が歩き始めたころで、リハビリを兼ねて毎日のように一緒に散歩した。かわいい小さな手をつないで、それこそお互いおぼつかない足取りで、テレビの子供番組の曲を二人で歌いながら歩くとき、心の中から自然に力が湧いてきたものだった。

いまでも親バカならぬ「伯父バカ」状態なのだが、甥っ子の屈託のない素直な笑顔は、心身ともに弱っていた私を救ってくれた〝処方箋〟だったと思っている。

(終)

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