第1089回2020年8月29日・30日放送
命知と天理
住原則也著「命知と天理 青年実業家・松下幸之助は何を見たのか」の内容の一部を紹介します。
命知と天理 -青年実業家・松下幸之助は何を見たのか-
昭和7年3月、天理を初めて訪れた松下電器創業者の松下幸之助氏は、「ひのきしん」という天理教独自の奉仕活動を目撃しました。この時期は「昭和普請」の名で知られる、天理教史に残る大規模な建設ラッシュの最中にあり、この月の「ひのきしん」の参加者だけでも、10万人もの信者が往来しました。
教会本部の境内地に到着した幸之助氏は、そびえ立つ巨大な神殿と、神苑周辺の基礎工事の様子を目にしました。すると、その広い境内地の北の方角から、もっこと呼ばれる、荒縄で編んだ網を木の棒に吊り下げた道具を肩に掛け、二人一組で土を運ぶ大勢の信者が次々とやってきます。
幸之助氏は、「何だろう?」と目を凝らしたことでしょう。案内役の知人は「あれは土持ちひのきしんですよ」と返答したはずです。しかし、「土持ち」は理解できても、「ひのきしん」とは何のことだろうと、幸之助氏は思ったに違いありません。
一般に寄進とは、神社や寺院に物品や金銭を寄付することですが、これに対して「ひのきしん」とは、働きを寄進することを言います。その行いは単なる奉仕ではなく、神によって生かされていることへの感謝を出発点としています。こうしたひのきしんの中でも、もっこに土を入れて運ぶ作業を特に「土持ちひのきしん」と呼んでいます。
土持ちひのきしんにいそいそと励む、おびただしい数の信者の姿に感銘を受けたと、幸之助氏は後年まで語っています。通常「人が働く」とは、生活のためであり、代価をもらって当然です。ところが、庶民の生活が決して楽ではなかった当時、これほど多くの人々が、実に楽しそうに無償で働いているとはどういうことか?
天理教では「寄進者」の名前は、神殿や境内のどこにも公表・公示されることはありません。にもかかわらず、信者たちは喜び勇んで奉仕し、意気揚々と各地へ帰っていきました。
名前を残したいのではない。各自の行いもその心中も、「見抜き見通し」の神様はすべてご存じなのだ。生かされていることへのささやかな恩返しができるだけで有り難い―。そのような信仰実践の場を、幸之助氏はまざまざと目撃したのです。
幸之助氏は、「ひのきしん」とは、生活のための行為ではないからこそ、明るい心で勇んで動けるのだと理解したと思われます。だからこそ、「使命観を持つこと」、私的利益を超越して、公的利益のために働くことの重要性を、天理訪問を通じて知ったと公言したのでしょう。
本部の広い神苑で、ひのきしんという聖なる「働き」に初めてふれた幸之助氏は、知人に促されて、本殿に昇殿しました。
「本殿へ参拝した。その建物の規模の壮大さといい、用材の結構さといい、普請の立派さ、ことに掃除の行き届いて塵一つ落ちていないありさまなどには自然と頭が下がるのを覚えたのである。また信者の人々も神殿の歩行には、他宗教の本山などには見られないような静粛さと敬虔さがこもっており、その神殿の前に額ずく様には一見して熱心な信者とおもわしめるものがある。自分もこの雰囲気につられて、思わずもうやうやしい念にうたれて礼拝をしたのである」