(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1080回

「ほしい」のほこり

教祖が教えられた「ほしい」のほこりを、「欲求」という言葉に置き換え、日常生活に照らし合わせて考える。

「ほしい」のほこり

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、私たち人間の間違った心遣い、神様の思召しに沿わない自分中心の心遣いを「ほこり」にたとえてお諭しくださいました。

教祖は、ほこりの心遣いを掃除する手がかりとして、「おしい・ほしい・にくい・かわい・うらみ・はらだち・よく・こうまん」の八つを教えられていますが、そのうちの「ほしい」のほこりについて、次のようにお聞かせいただいています。
「ほしいとは、心も尽くさず、身も働かずして、金銭を欲しがり、不相応に良き物を着たがり、食べたがり、また、あるが上にも欲しがるような心。何事もたんのうの心を治めるのが肝心であります」。

さて、ほしいという言葉を「欲求」という言葉に置き換えると、大まかに生理的欲求と社会的欲求の二つに分けられます。 生理的欲求とは、人間が生きていく上で基本的に必要なもので、代表的なものには、食欲や睡眠欲があります。ただ、必要だからといって際限がなくてもいいわけではなく、腹八分という言葉があるように、ほどほどに、適度におさめることが大切です。

一方の社会的欲求とは、集団に属したい、仲間が欲しいといった欲求です。他者から認められたい、尊敬されたいという気持ちも含まれます。これらは他者を意識した、人と人との関係において生じる情緒的な欲求であり、これがいい方向に向けば、努力や向上心につながることもあるでしょう。

このような基本的な欲求は、多かれ少なかれ誰しも芽生えるものですが、度を越せば「ほしい」のほこりとなってしまいます。そこで教祖は「たんのうの心を治める」ことが大切だと教えられますが、そのためにはどう心がければいいのでしょうか。

人間というものは、どんなことでも喜べる気持ちにはそうそうなれませんが、せめて不足に思わない心を意識することはできるでしょう。不足に思えば、何が起きても、ただ不足の種を積み重ねるだけです。しかし、たとえどんな状況であっても、その中から満足を見つけ出すことができれば、心も満たされるといった好循環になるのです。不足に思うか満足するか、心は一つ、当人の思い方次第です。

自分の目の前に現れてくる出来事を〝神様からのメッセージ〟と受け止め、その中に満足の種を見出す心を育てていくことが必要なのです。そして、さらに一歩進んで、相手がほこりを積まないように、相手に満足してもらえる心配りができるようになれば、これはもう、陽気ぐらしに一歩近づいたと言ってもよいのではないでしょうか。

人間はお互いに影響し合う関係、いわばお互いさまの関係です。相手の変化にとらわれるのではなく、まずは自分自身から良好な関係をつくるように働きかけていけば、欲に左右されない生き方ができるのではないでしょうか。

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