(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1076回

正しさとは何か

メディアからの情報に翻弄されることも多い現代、本当の「正しさ」をどこに求めるべきか。

正しさとは何か

十八世紀、イギリスの思想家ジェレミー・ベンサムが、新しい監視システムを備えた刑務所を設計しました。
一望監視システム「パノプティコン」と名付けられたこの刑務所は、中央に高い監視塔を置き、この監視塔を取り囲むように獄舎が建てられています。 獄舎はすべて独房になっていて、内側にオープンになっているその内部は、監視塔の上から一望のもとに見渡すことができます。しかし、それぞれの独房からは監視者の姿を見ることはできません。
たとえ監視者が居眠りをしていても、あるいはそこに誰もいなかったとしても、囚人たちは「監視されている」という意識を持ち続けます。監視されている事実ではなく、監視されているという意識を持つことで、囚人たちは自分で自分を監視し続けるのです。

ベンサムの構想から二百年以上の年月が経った今、この監視システムがあらためて注目されています。見えない誰かに監視されているという意識。そして、この意識をもとに行動する人々。このことは、メディアを通して与えられた情報により、生活のマニュアル化が進んだ現代を生きる私たちにとって、他人事ではありません。

たとえば子育てにおいて、わが子が標準的な身長や体重に少しでも足りていないと、育て方に問題があるのではないかと悩んでしまう親御さんが多いといいます。マニュアル化された意識は、しばしば個性というものを、罪の意識に変えてしまうのです。 しかし、マニュアル化された正しさが、すべての判断基準ではありません。大切なのは、本当の正しさについて深く考えることではないでしょうか。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、
「世界の人が皆、真っ直ぐやと思うている事でも、天の定規にあてたら、皆、狂いがありますのやで」
(教祖伝逸話篇31「天の定規」)

と仰せになりました。物事の判断基準を、神様の教えの中に求めるようにというお諭しです。

私たち一人ひとりの歩みを、優しく温かく見守ってくださる神様。その神様の深い親心の中にこそ、私たちが歩むべき本当の「正しさ」があります。マニュアル通りに事が運ばないと自分を責める前に、「天の定規」に照らし合わせてみれば、自分らしい生き方が見つかるのではないかと思うのです。

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