(天理教の時間)
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第1311回2024年12月6日配信

彼女に足らなかったもの

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1075回

夫よ、「ありがとう」と、言うことなかれ!

結婚生活40年。歳月を重ねて分かったのは、夫は妻に対して「ありがとう」や「ごめんなさい」を言わないということ。

夫よ、「ありがとう」と、言うことなかれ!

兵庫県在住  芦田 京子

日本で、バレンタインデーに、女子が想いを寄せる男子にチョコレートを贈るという習慣はいつからできたのだろう。少なくとも、私が高校生だった頃には、女子の間で話題になっていたのだから、半世紀ぐらいは経っているだろうか。

いまは義理チョコや友チョコ、自分チョコなど色々あるようだが、かつてのバレンタインデーは、チョコレートを贈ることで、女子が男子に想いを伝える日だった。
だから、私も夫とお付き合いをしていた頃には、毎年チョコレートをせっせとプレゼントしていた。だが、結婚が決まると、特に想いを伝える必要もないと思い、遠距離交際だった婚約中はチョコレートを贈るのをやめた。

すると、夜になって電話がかかってきた。
「チョコレート、まだ届いてないけど」。

当時はバレンタインデーが注目を集め始めた頃で、夫も仕事の同僚から「届くぞ、届くぞ」と冷やかされてそのつもりになっていたのに、とうとう届かなかったので、何か手違いがあったのではと思ったらしい。
「そう、おかしいわね、送ったのに」などと、とぼけてその場をやり過ごしたが、それからは反省して、結婚してからも毎年チョコレートをプレゼントするように心がけていた。

当時、夫はよく遠方に出張していた。2月14日は毎年必ず九州に行っていたので、私はいつも旅行かばんの中にこっそりチョコレートを忍ばせておいた。「旅先で見つけてくれたら、ちょっと気持ちがほっこりするかしら」などと期待して。
ところが、帰ってきても夫は「チョコレートありがとう」でもなければ、「嬉しかった」でもなく、さらにはホワイトデーのお返しも全くない。

何年もその状態が続いたので、別に嬉しくも何ともないんだなあと思い、「なんだか、アホらしいから、やーめた!」と、ある年、チョコレートをかばんに入れるのをやめた。

すると、2月14日の晩、珍しく旅先から電話がかかってきた。
「チョコレート、どこ探しても入ってないんだけど…」と言うではないか!

「えーっ!だ、だって、いつも、ありがとうも言わないし、何の反応もないから、やめちゃったのよ。今年は入れてないわ」と言うと、夫は「毎年楽しみにしてたのになぁ」と残念そうに言うのだ。
私は心の中で、「それならそうと、一言ぐらい、何か言ってくれればいいのに」と思ったが、とにかく、これからは毎年かばんに入れようと、あらためて心に誓った。「男の人って、わけわかんないなぁ」とため息をつきながら…。

そんな私たちも、昨年で結婚生活40周年。「ルビー婚式」と言うのだそうだ。この40年間、一度も結婚記念日を祝ったことがない。お互い忙しく、40年の節目の日も離れ離れで迎えた。
だが、色々あったけど、今日まで元気で夫婦そろっていられることは、何よりもありがたい。
そして、この40年で学んだことは、夫というものは、妻に対して「ありがとう」や「ごめんなさい」を言わない存在だということだ。今の若い世代は違うかもしれないが、私たちやその前の世代は本当に言わなかった。私の父も母に対して、口に出してお礼を言ったり、謝ったりすることは一度もなかった。

ある年配の奥さんが、以前言っていたことを思い出す。
その方のご主人は、事業に失敗して多額の借金を作った上に、体を悪くして働けなくなった。そこで奥さんが、泊まり込みで病院の付き添い婦をして、細々と借金を返していたのだった。
元々頑固一徹のご主人だが、時折「わしは、家内の働いている病院に足を向けて寝られんのです」と目を潤ませて言うことがあった。その割には、たまの休みで帰ってくる奥さんに、相変わらず怒鳴り散らしていた。

そのご主人に、ついに最期の時がきた。幼なじみのご夫婦は、お別れの夜、苦しい息のもとで、二人でふるさとの思い出話をしたという。 そして終わりに、ご主人が言った。「今まで苦労をかけたなあ…ありがとう」。
奥さんは、「その言葉を聞いた途端、これまでの苦しみがパーッとどこかへ飛んで行ってしまった」と、その時を振り返っていた。

私はその話を聞いて、「そうか、男の人が本気でお礼を言う時は、お別れの時なんだな」と思った。 だから、夫から「ありがとう」も「ごめんね」も言ってもらわなくていいんだ。それより、一日でも長く、元気で生きていてもらったほうがずっといい。そう思った。

夫よ、「ありがとう」と、言うことなかれ! 

 


 
縁あって「家族」 
吉福  多恵子

 育てるつもりが育てられ

先日、新聞のコラムに、「育む」という言葉の語源が「羽」で「含(くく)む」〝はくくむ〟から来ていると記されていました。 なんてきれいな響きでしょう。日本語の持つ美しさには、時として感動させられます。

古来、言葉には魂が宿ると信じられてきました。親鳥が羽を広げてひなを包み込む。鳥たちの慈しみ深いしぐさに、遠い昔の人々は自分たちの子育てを重ね合わせたのでしょうか。やがて成人し、独り立ちしていくさまを「巣立ち」と表現しました。 これまで連綿と「育まれ」、そして「巣立ち」を繰り返してきた私たち人間の「いのち」。その遥かな旅路は、どこを目指そうというのでしょうか。

「お疲れさま」と、隣の県に住むT子ちゃんから、いつものメールが入りました。
「おばさん、元気ですか。私はなんだか、毎日毎日イライラして。子供がかわいくないときがある。自分が産んだ子なのに。できることなら親をやめたい…なんだか、心が痛い。ねえ、子育てって、我慢してやることなの? もう疲れたよぉ」

T子ちゃんの心の叫びが画面の向こうから聞こえてくるようです。 小さいころから教会に出入りしていた彼女は、私にとって娘のような存在です。両親がすでにいないこともあって、余計に思いが掛かります。急いで返事をしたものの、会って顔を見るまで心配でした。

わが子をいとおしむ気持ちになれないことほど、悲しいことはありません。人は本来、その手にいたいけな幼子を抱けば、自然と「守ってやりたい」と思うはずです。神様がそのように私たちをお創りくださったとしか思えないのです。

親になる練習なんて、誰だってしたことはありません。周りの人たちに助けられ、何よりわが子に教えられながら、私たちは曲がりなりにも親と呼ばれる存在になっていくのです。 近ごろ、テレビや新聞で子供たちに関わる悲しい事件を見聞きするたびに、やりきれない思いが募ります。
核家族化が進み、近くに相談できる人がいなかったら、育児に疲れた母親はますます孤立してしまいます。一日中、家のなかで子供とにらっめこでは、神経もすり減ってしまうでしょう。〝公園デビュー〟が頭痛の種になるというのも、笑えない話です。

あれ以来、T子ちゃんとは何度も行き来を繰り返し、いろんなことを話し合いました。
「ほんと、今日は教会へ行ってよかった。みんなに子供をかわいがってもらって、うれしかった。なんか、やっぱり一人では育てられないよね。みんながいる所だと子供も喜ぶし、何より私が一番うれしかった…大事に育てたい」
「心をいつも広く持って、大らかに受け止めてやらなきゃいけないのに…。毎日が反省です。おばさん、毎日はゆったりと、ですよね。頑張ります。また、つらくなったら助けてね」

そうよ。あなたは、お母さん! 一人で悩まないで。暗いトンネルだって、いつかは抜け出せる。周りを見渡せば、救いの手は必ずあるはずだから。
時にはズームボタンをオフにして、ちょっと引いたところから、わが子を見てごらん。ずいぶん成長したなって思えるよ。いつもいつもアップモードじゃ、子供だって息がつけないもの。

いまにして思えば、私にも肩肘を張って子育てをしていた時期がありました。
そんなとき、「もっとかわいがってやればいいじゃないか」という父の言葉に、ふっと目の前の霧が晴れました。いい子に育てるためと思っていたことが、実は私自身の見栄だと気づいたのです。
ズームボタンがオフになった瞬間でした。

時が過ぎ、やがて「巣立つ」日も間近いわが子たちですが、誰よりも「育まれ」ていたのは私だったと、つくづく思います。

(終)

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