第1125回2021年5月8日・9日放送
感謝と祈りに包まれて
教会もコロナ禍で自粛が続くなか、小学生の孫が教祖へ手紙を書いた。「ころなをへらしてください」と。
家族のハーモニー「感謝と祈りに包まれて」
「人間いきいき通信」2020年11月号より
白熊 繁一
今年初めから世界中に新型コロナウイルスの感染症が広がり、日本でも緊急事態宣言が出され、自粛生活が長く続いた。
そんな春先のある日、私どもの教会の神様をお祀りしている場所に、一枚の紙が置かれていた。
手に取ると、
「おやさま、ころなにかかったひとをなおしてくれてありがとう。いつかころなをへらしてください。おねがいします。こうたろうより」
と、鉛筆の文字で大きく書かれていた。小学一年生の孫・晃太朗から、教祖・中山みき様「おやさま」への手紙だった。
大人は日ごとに増加する感染者数を憂い、深刻なニュースに固唾をのむ思いでいた。たまたまテレビで流れた、感染症が治癒した人の言葉を聞いて、その人に代わって神様にお礼を言い、そしてコロナウイルスを減らしてくださいとの切なる願いを込めた手紙に、健気さを感じた。
晃太朗は、入学式の翌日から休校が続き、母親である娘に文字や算数を教わっていた。手紙は、その用紙の裏紙を使ったもので、覚えたてのひらがなを書くことがうれしかったのだろう、元気のいい文字だった。
新型コロナウイルス感染症は、人々の生活様式をがらりと変えた。マスクの着用や手洗いの励行、手指の消毒に意識が注がれ、人が集まること、接すること、密閉空間になることを避けるよう呼びかけられた。もとより教会には、人が集まり、人と接する場面が数多くある。言い知れぬ切なさを感じながらも、行政の方針に沿い、教会に参ってくださる方には自粛してもらうことにした。
私は日ごろ、外出から帰ると、出迎えてくれる幼い里子や孫を「ただいま、むぎゅー」と言って抱きしめていたが、それもできず、愛おしさゆえの〝むぎゅー〟を我慢する日を送った。
外出も人との会話もしにくくなったが、電話やメール、手紙を使って、人とつながり合うことを、妻や娘夫婦と申し合わせた。また、感染症の終息と、世界中の人々や教会につながる方たちの無事を神様にお祈りしようと皆で約束し、いまもその祈りの時間を大切にしている。
神様に毎日お願いする家族の姿を、晃太朗も心に刻んでいたのであろう。手紙をお供えした後で長い間、一人で拝をしていたと、娘から報告を受けた。
教会家族の配慮により、信者さんたちから近況を知らせるメールや手紙が毎日届くようになった。
「教会には行けないけれど、電話で日参します」
「感染リスクの高い介護の現場ですが、働けることがありがたいです」
「昨日は子供たちとお菓子作りをして楽しみました」
「わが家では男性陣が昼食作りを担当しています」
困難な状況のなか、心を込めて働く人、工夫しながら家族と心を通わせている人たちの様子がうれしく、ほのぼのとした情景が心に浮かんだ。
私は早朝に教会周辺の掃除をしている。いまは自粛生活のさなかだが、その範囲を少し広げることにした。毎日続けていると、近所の家の窓から「白熊さん、ご苦労さまです」と、老婦人から声がかかり、「町をきれいにしてくれてありがとう」と、ウォーキングをする男性が声をかけてくれた。みんなマスク姿だが、その下にある笑顔は想像できる。
ウイルスは極微で、どこにあるか分からないがゆえに、ややもすれば恐怖感が伴う。一方で、人は神様への祈りなどの目に見えない世界を信じることもできる。
「〇〇ばあちゃん、げんきですか? ぼくはげんきです。ころながなくなったらあおうね。げんきでね」
高齢の信者宅に向かう私に、晃太朗が手紙を託した。今日も祈りと温かい心に包まれる、家族との日常がうれしい。