第1345回2025年8月1日配信
「感謝」から「報恩」へ
感謝という言葉は一般にも良く使われるが、それは言わば恩を報じる「報恩」への入口である。
だけど有難い「『感謝』から『報恩』へ」
最近、親による子供の虐待や育児放棄が社会問題になっています。それに伴い、「親は子供を育てる責任と義務がある」とか、「子供には育てられる権利がある」というようなことが言われます。私は、この「責任」や「義務」「権利」というようなものからは、「感謝」の心は生まれないと思うのです。「責任があるから」「権利があるから」といった感覚では、子供は親に「育ててもらって当たり前」であって、そこに感謝の心の生まれる余地はありません。
お道では、そうしたことに気づいていただきたいとの思いから、「感謝 慎み たすけあい」という標語を作って、教会の前などに横断幕を掲げてきました。
「感謝」という言葉は、一般社会でもよく使われます。「親に感謝しています」「お世話になって大変感謝しています」などと言いますね。しかし本当に大事なのは、その先だと思うのです。それは「報恩=恩を報じる」ということです。「感謝」は、いわば「報恩」への入り口なのです。
三代真柱・中山善衛様は、教会巡教などの際に、よく「報恩感謝」とご揮毫くださいました。三代真柱様が真柱をお務めの時代は、真柱様が「報恩」とお書きになって、継承者であられた善司様が「感謝」と続けられました。善司様が跡をお継ぎになってからは、真柱様が「報恩」とお書きになって、三代真柱様が「感謝」とお書きになりました。
私は「感謝」という言葉は、「報恩」という言葉と結びつかないことには、あまり意味がないと思うのです。たとえば「親に感謝します」と口にするだけでなく、親に育ててもらった「恩」、産んでもらった「恩」を感じることが大切だということです。
「恩」には「返す」という行為が伴います。そう言うと、嫌々させられると感じる人もいるかもしれません。しかし実際には、恩を感じたら返したくなるものではないでしょうか。たとえば恩師に贈り物をするときに、嫌々する人はないでしょう。何を贈ったら喜んでくれるだろうかと、品物を選んでいるときからうれしいものです。恩返しというのは、そういうものだと思います。
親に恩を感じると、それを返したくなる。これは親孝行です。親孝行というのは、しなければならないからするのではなく、せずにおれないからするのです。
親神様のご恩も同じだと思います。この道は「ご恩報じの道」ともいいますが、ご恩を感じなければ通れないのです。親神様のご守護を有難いと思う心があればこそ、「させてもらいたい」「やらずにおれない」という気持ちになるのです。
私たちが毎日こうして元気でいられるのは、第一に親神様のご守護のおかげです。そして、産み育ててくれた親のおかげ、周囲の人たちのおかげ、学校の先生のおかげもあれば、仲間のおかげもあるでしょう。実は、人間はこうした「おかげ」を感じ、「恩」を感じて、それに応えようとするなかに、「生き甲斐」や「喜び」を見いだし、「幸せ」を味わうことができるのです。
私たちは、一人でも多くの人をおぢばへ連れ帰らせていただき、別席を運んでもらおうと努めさせていただいています。それは、私たちの親である教祖に、お喜びいただきたいからです。さらに一層、声掛けに努めて、教祖のご恩に、親神様から頂戴している限りないご恩に応えさせていただきましょう。
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