第1303回2024年10月4日配信
忘れる力
歳とともに物忘れをするようになった。しかし、これはある意味で大変結構なことで、喜べることも多いのだ。
だけど有難い「忘れる力」
先日、テレビを見ていたら、長年、認知症の方の世話取りをしている人が、こんな話をしていました。あるとき認知症の方が、ベッドの上に身の回りの物を並べて捜し物をしていたので、「お手伝いしましょうか。何を捜しているのですか」と声を掛けたら、「それが分かったら苦労するか!」と答えが返ってきたそうです。
認知症とまでいかなくても、人は歳とともに物忘れをするようになります。私も、人の名前をよく忘れます。顔は分かっているのに名前が出てこないのです。大事なことをうっかり忘れることもあるので、メモを取るのを習慣にしています。寝るときも枕元に必ずメモ用紙を置いて、夜中に急に起きて書き込むこともあります。
妻も物忘れが多いので、メモを取るように勧めたことがあります。その後、メモを取るようになったのですが、それでも大事なことを忘れることがありました。「なぜ、メモを取らなかった?」と尋ねると、妻は「メモは取ったが、見るのを忘れた」と答えました。習慣になっていないと、メモだけ取ってもだめなのですね。
こんな話をすると、私が物忘れをすることに不足していると思われるかもしれません。実は、その反対に喜んでいるのです。もちろん、人に迷惑をかける場合は喜んでいられません。けれども私は、自分が実にくだらないことにとらわれたり、くよくよ悩んだりする人間だということをよく知っています。もし、忘れることがなかったら、失敗したことや、厳しく叱られたことをくよくよ悩んで、夜も眠れないでしょう。忘れるから、ゆっくりできるのです。こう考えると「忘れる」ということも、神様のご守護として喜ぶことができます。
記憶力というのがあるように、「忘れる力」があってよいのです。「最近、記憶力がなくなってきた」と言うのは当たっていないのです。「最近、忘れる力がますます向上してきた」と言うべきではないかと思います。歳とともに記憶力が低下するのは、ある意味では大変結構なことなのです。体はだんだん衰えていくのに記憶力が低下しなければ、イライラすることばかり増えて、しょうがありません。神様が、ちょうど良いようにしてくださっているのです。
これは勘違いということなのかもしれませんが、こんなことがありました。
私の父がいよいよ衰弱してきたときに、お医者さんが「いかがですか」と容体を尋ねました。これに対して、父は「私はこの歳まで生かしてもらい、子供も七人与えていただいた。孫も次々生まれ、誰一人欠けることなく通らせてもらっている。こんな結構なことはない。なんにも言うことはありません」と言ったのです。
お医者さんは容体を聞いたのです。しかし父は、信仰で答えたのです。そのおかげで、私たち家族は喜ばせてもらいました。人生の黄昏時を迎えたときに、何も言うことがない、結構だという父の気持ちを聞くことができました。もしあのとき、父が勘違いをしていなかったら、こんなうれしい話は聞けなかったと思います。ですから「勘違い」も「忘れること」も、ご守護だと思えるのです。
私たちは、一人でも多くの方をおぢばへ連れ帰らせていただこうと、声掛けをさせていただいています。私たちの先人・先輩方もそうであったように、声を掛けても、すんなり聞いてくれる人ばかりではありません。むしろ、迷惑に思う人もいます。
先人は厳しい迫害・弾圧のなかを通り抜けてこられました。いまでも、あまり褒められることはなく、暴言を吐かれることのほうが多いのです。そんなときに、この「忘れる力」を発揮したいと思います。私たちの先輩は、この力を大いに発揮しました。何事もなかったかのように、翌日また声を掛けに行ったのです。そして意外にも、行ってみれば、おぢばへ帰ってくださるということがあるのです。ですから、コロッと忘れて声掛けをすることが大事なのです。
つまらないことにこだわったり、とらわれたりするのではなく、「忘れる力」も大いに発揮して神様の御用をさせていただきましょう。
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