(天理教の時間)
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第1405回2026年9月25日配信

伝えたい思いがある

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関根 健一

文:関根 健一

第1289回

奇跡

病気の鮮やかなご守護を奇跡と呼ぶが、むしろ私たちが「いま、ここにいる」こと事態が、奇跡的なご守護である。

だけど有難い 『奇跡』

 

奇跡というものは、山のようにあると思うのです。現に、河原町大教会の祭典後のおさづけの取り次ぎで、「医者に余命二週間と宣告された方がご守護いただいた」「ガンが消えた」「手術をしなくて済んだ」「手術が大変うまくいった」「歩けなかった人が歩けるようになった」「膝が曲がらず座れなかった人が、座れるようになった」といった報告を、毎月のように聞かせていただきます。この教会だけでも、数々の奇跡を見せていただいているのです。

今日は、そういう奇跡の話ではなく、私たちが「いま、ここにいる」という奇跡の話をしたいと思います。驚くようなご守護も奇跡です。しかし、そればかりではありません。むしろ本来、私たちが「いま、ここにいる」ということ自体が、奇跡的なご守護の真っただ中にいるということだと思うのです。

たとえば、私は一歳のときに母を亡くしました。考えてみれば、母の出直しが一年早ければ、私は生まれていないのです。私の母もまた、幼いときに祖母と死別しました。これもわずか数年出直すのが早ければ、母も生まれていません。私の家は信仰して五代目ですが、二代目の徳次郎も、生まれるのとほぼ同時に母を亡くして顔も知りません。五代目の私は、本当に奇跡的に、いま、ここにいるのです。それとても、四代前のこの教会の初代会長を務めた源次郎が信仰してくれたおかげで、こうしているわけで、そうでなければ百数十年前になくなっている家なのです。

さらに遡って、親神様がこの世人間をお創りくださってから今日まで、いったい何人の親がいたのか分かりませんが、その親が一人でも欠けていたら、私はいま、ここにいないのです。私だけではありません。人は皆、自分が全く知らない親がいてくださったからこそ、いまがあるのです。

また、過去から今日までの生命の営みだけでなく、いま、ここにある私たちの体を考えてもそうです。人間の体は、およそ三十七兆個の細胞から成り立っています。しかし、この細胞が全部生きていたらいいというわけでもありません。細胞それぞれの寿命が来たときには、死んでもらわなければならない。たとえば、血液の成分である白血球、血小板、赤血球は、それぞれ寿命が違います。数時間で死んでしまうものもあれば、十日生きるものもある。また、百二十日ほど生きているものもあります。そして、死んでいくものの代わりに、新しいものが生まれてくるから、私たちは生きているのです。

親神様のご守護というものは、本当にきりがないのです。人間をお創りいただいて以来、今日までに、どれほどのご守護を頂いてきたか。いま、ここにいるという事実のなかに、どれほどのご守護があるかと考えたら、どれだけお礼を申しても、し過ぎることはないと思います。

ですから、いま体が不自由で悩んでいる人も、お願いの前に、まずお礼を申し上げていただきたいのです。私たちは病気や事情で悩むと、必死になってお願いします。必死になってすがるというのは大切なことです。このすがってお願いする気持ちと同じくらい、お礼が大切だと思うのです。私たちはつい、それを忘れます。山のようにご守護を頂いているのに、たった一カ所、膝が痛いと、そのことで思い悩みます。まず、親神様のご守護に対するお礼を、しっかりさせていただきたいものです。

そのお礼の仕方を、教祖は教えてくださいました。その第一が、おたすけです。世界中の人は皆、山のようにご守護を頂いていることを知らずに生きています。この教えは、信仰している人だけのものではありません。お道を信仰している者だけが兄弟姉妹ではないのです。世界中の兄弟姉妹に、一日も早く教えを伝え、親神様のご守護に共に感謝してもらえるよう、つとめさせていただきたいと思います。

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