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第1405回2026年9月25日配信

伝えたい思いがある

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関根 健一

文:関根 健一

第1285回

幸せの条件

好きな人と結婚し、仕事も順調、子供も生まれ、家族みな健康。その状態で一年経って、さて、幸せだろうか?

だけど有難い  『幸せの条件』

 

私は時々、若い学生さんが集まった席で、こう尋ねることがあります。「幸せの条件って、どんなことだろうか?」。そして、手を挙げてもらいます。

たとえば「財産がある」―意外に手は挙がりません。若いですから、お金なんか要らないと思っている人もいますし、そんなことはあまり重要ではないと思いたい、という気持ちもあるのでしょう。そこで「本当に要らないの? なかったら困らない?」「何回、手を挙げてもいいよ」と言うと、ジワジワと増えていって、最後には大半が手を挙げます。

「大好きな人と結婚する」―これは文句なしにたくさん挙がります。

「健康」―これも文句なし。

「仕事」―これは全員ではありませんが、男子はほとんど手を挙げます。

「生き甲斐になるような趣味」―これも、そこそこ挙がります。

「子供」―これはたくさん挙がります。

ほかにも「地位」や「名誉」―これも数は少し減るけれども手が挙がります。こんな調子で列挙していくと、「幸せの条件」はいろいろあるのです。

そこで次に、「大好きな人と結婚して、仕事が順調で、子供も生まれて、家族みな健康。言うことなしの状態で一年経ったとして、幸せだろうか?」と聞くと、あまり手が挙がらないのです。「先ほど挙がった条件が入っているのに、なぜ手が挙がらないんだろう」と尋ねると、「そのときになってみないと分からない」という答えが返ってきました。

そうなのです。実は大好きな人と結婚しても、一年経ったら大好きかどうか分からないのです。財産があっても、揉めている家もあります。子供がいたらうれしいなと思っても、子供で困っている家もある。つまり、「幸せの条件」が与えられているからといって、幸せとは限らないのです。世界中で一番お金持ちの人は、きっとどこかにいるに違いありません。じゃあ、その人が幸せかといえば、それは分かりません。

では、幸せの元はどこにあるのでしょうか。それは心です。「子供がいることがうれしい」「配偶者がいることがうれしい」と思えたら幸せですし、「嫌だなあ」と思ったら不幸せなのです。

以前、ある六十代の女性がおたすけを願ってこられました。その方は、喉頭ガンで食道を全摘出されました。大変苦しいと、泣きながら訴えられます。全摘出ですから食べ物が入りにくくて苦しい。体は手術の跡も生々しい。「自分は手術してほしいと思っていたわけじゃない。承知した覚えがない。痛い苦しいと言っても、家族が分かってくれない」と泣いて訴えられるのです。

その方の話を聞いたうえで、私は尋ねました。

「教祖が貧のどん底を通られたときに、明日炊く米がないなかを、『世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある』と子たちを励ましながら通られたというお話があります。私はそれを聞いて知っているけれども、実際にその状況になったことがないので、どれだけ有難いことなのか実感はありません。奥さんは、水も喉を越さない状況で長い間過ごされましたが、初めて物が通った瞬間はどうでしたか?」

すると、その方の顔色が変わって、「そら、美味しかったよ」と。

「そんなに美味しかったですか」「あんなに美味しいと思ったことはなかった」と、先ほどまでの涙とは反対の、うれし涙で話されました。私が「奥さん、それをお子さんにお伝えになったらどうでしょう」と言うと、「良い話を聞かせていただいた」と喜ばれました。

これは心の向きが変わったということですね。心がたすかったということなのです。来るときは悲しくて苦しくてたまらなかったのに、おさづけを受けて、帰るときは笑顔でニコニコと帰られました。

つらいこと、苦しいこと、悲しいことは、わざわざ数えなくてもつらいし、苦しいし、悲しい。それは誰しも分かっているのです。この女性が、水が喉を越した喜びを感じたときにうれしくて泣けたように、私たちも数えてみれば、ご守護をいっぱい頂いています。そのご守護を喜ぶ心になったとき、実は体もたすかっていくのです。

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