第1280回2024年5月3日配信
病は気から?
「病は気から」で、偽薬でも信じて飲めば効く場合もあるという。科学的には解明できないが…。
だけど有難い 『病は気から?』
病気という言葉は、「気を病む」と書きます。「病は気から」と言いますが、確かにそういうところがあって、たとえば薬ではない物でも薬だと信じて飲めば、何パーセントかの人には効くそうです。
アメリカ西海岸のある病院で、こんな調査が行われました。病気が回復するようにお祈りをしてもらっている患者さんと、そうでない患者さんの病状の変化を比較して統計を取ったのです。すると、お祈りをしてもらっている人たちのほうが、明らかに良くなる率が高いという結果が出たそうです。それでも考えようによれば、「病は気から」で、薬ではない物を薬と信じて効能があるのと同じと言えるかもしれません。
しかし、同じ調査で、この病院のある西海岸から遠く離れた東海岸の人たちが祈り続けた場合も、同じ結果が出たそうです。しかも、祈られた患者さんたちは、自分が祈られていることを知らなかった。これは不思議です。
理由は科学的には分からないので、もっと調査をしなくてはならないそうですが、おそらく、調べても答えは出ないでしょう。それは、人間をお創りくだされた親神様が、祈る人々の真実をお受け取りくだされたからだと思うのです。
河原町大教会では、月次祭の祭典後、希望する参拝者におさづけの取り次ぎをしています。これは、この世と人間をお創りくだされた親神様に直接お願いするのですから、こんなに心強いことはありません。実際、有難いことに、毎月、不思議なご守護を頂戴した喜びの声を直接聞かせていただいたり、お礼状を頂いたりするようになりました。
偽薬でも、その気で飲めば「病は気から」程度には効くのです。おさづけの取り次ぎは親神様から直接ご守護を頂くのですから、「本当にたすかるのだろうか」などと疑っていたのでは、せっかく「たすけてやろう」と思っておられる親神様が「たすけられない」ということにもなりかねません。本気で信じて、もたれて、ご守護を願っていただきたいのです。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』に、「子供が親のために」というお話があります。お道の草創期の先人の一人、桝井伊三郎(ますい・いさぶろう)先生がまだ若いころのこと、病気で危篤状態の母親をたすけていただきたくて、教祖のところへお願いに行かれました。
しかし、教祖は「せっかくやけれども、身上救からんで」と仰せになりました。
教祖が「救からん」とおっしゃるのだから仕方ない。そう思って、伊三郎さんは家に帰りました。しかし、苦しむ母の姿を見ると、それでもたすけていただきたいという気持ちでいっぱいになって、再び教祖のところへ行き、「ならん中を救けて頂きとうございます」とお願いしました。けれども、教祖は重ねて「伊三郎さん、気の毒やけれども、救からん」と仰せになりました。
教祖が二度にわたって「救からん」とおっしゃるのだからと、そのときは得心して家に帰ったけれども、伊三郎さんは母の苦しむ姿にどうしてもジッとしていられませんでした。三たび、教祖のところへ行って、「ならん中でございましょうが、何んとか、お救け頂きとうございます」と、お願いしたのです。すると、教祖は「子供が、親のために運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る」と仰せくださり、お母さんは鮮やかにご守護いただいて、八十八歳まで長生きされたということです。
この姿勢が大事なのです。
私たちは、どうしても合理的・論理的にものを考えようとします。科学を信仰しているようなところがあります。お医者さんに「だめだ」と言われたら、がっかりして、神様から宣告を受けたような気になって諦めてしまう。しかし、お医者さんは神様ではありません。
最近、病院でも「病気と明るく闘おう」とか「病気と共に生きよう」などと書いたポスターを貼っているところがあります。それはなぜか。暗い気持ちで後ろ向きに生活するより、明るく素直な人のほうがたすかりやすいということが統計的に分かってきたからです。では、どうしたら明るく生きられるのか、どうしたら前向きに生きられるのか、その方法は病院では教えてくれません。
私たちは、本当の人間の生き方、陽気ぐらしの生き方を知っています。そして、親神様を信じ、心を入れ替えることで、ご守護が頂けることを知っています。こんな有難いことはないのです。
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