第1276回2024年4月5日配信
喜びましょう
「喜ぶ」ことは陽気ぐらしの原点。辛い中でも喜ぶ努力をする心を、親神様はお受け取りくださる。
だけど有難い 『喜びましょう』
「喜びましょう」と言うと、「元気なときならともかく、病気で苦しいときに喜びましょうもないだろう」と思う人もいるでしょう。しかし、元気で忙しいときは気づかないけれど、病気で寝ているから分かることもあるものです。必ずしも元気だから喜べるとは限りません。病気でつらいときだからこそ、じっくり考えてみることができるのではないかと思うのです。また一つには、病気で苦しい最中でさえ喜ぶ努力をしている―その心を、親神様はお受け取りくださいます。だから、「喜びましょう」と言いたいのです。
娘が小学一年生のとき、右目の上に大けがをしたことがありました。担任の先生が病院から連絡を下さったのですが、私はけがのことを聞くなり、「有難い」と思いました。
なぜなら、河原町大教会の初代会長を務めた深谷源次郎は、右目が潰れるところをたすけていただいて、本気で信仰を始めました。
私も赤ん坊のころ、右目の上に大けがをしました。父からよく「おまえは初代と同じように右目が潰れるところをたすけていただいた。あのとき、けがの場所がもう少しずれていたら失明していたかもしれない。たすけていただいて良かったな。目が見えるということは有難いな」と、聞かせてもらったものです。そして、今度は娘まで、たすけていただいた。だから私は、最初に聞いたときからうれしかったのです。
娘が病院から帰宅後、おさづけを取り次がせていただきました。取り次いでいる最中に、ぐっすり眠ってしまい、そのまま朝まで寝てくれました。
翌朝、娘に初代と私のたすけていただいた話をしました。
「今度は、おまえもたすけていただいた。いまは痛いかもしれない。でも、目を開けたら物が見える。有難いなあ。一緒にお礼をさせてもらおう」
そう言いますと、娘はニコニコして、それから神殿で一緒にお礼のおつとめをさせていただいたのです。治ったから、お礼をしているのではありません。けがをしたのに、お礼をしている。なぜなら、たすけていただいたことが分かるからです。親々のおかげではありますが、このように思案をすれば、けがも喜ぶことができるのです。
初代会長は「けっこう源さん」「ありがた屋の源さん」と言われるくらい、喜び上手でした。額を打っても「痛い痛い、有難い。痛いと感じさせてもらえることが有難い」と言ったそうです。痛くても「有難い」と、喜ぶ努力をしました。
ここにヒントがあるのです。それは何か。たとえば、冬の朝起きたときに、たまらず「寒い!」と口に出してしまっても、その後に「有難い!」と言ったらいいのです。何を喜ぶのか、何が有難いのか考えるのは、それからでいい。人間は「しんどい」と言っていたら、本当にしんどくなります。「有難い」と言って通らせていただくなかに、本当に有難い姿が見えてくるのです。
「あちらでも喜ぶ、こちらでも喜ぶ。喜ぶ理は天の理に適う。」(M33・7・14)
「日々嬉しい/\通れば、理が回りて来る。」(M34・7・15)
親神様は、このようにおっしゃっています。
「喜ぶ」ことは陽気ぐらしの原点です。病気で「痛い」「苦しい」思いをしている方も、ぜひ喜ぶ努力をしていただきたい。親神様は、子供可愛い親心いっぱいに、たすけるためにふしを見せてくださっているのです。
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