第1178回2022年5月14日・15日放送
神である証拠
お姿は私たちと何ら変わることのない教祖。しかし時折、人間業ではない数々の不思議をお見せくだされた。
神である証拠
天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、女性として生まれ、嫁いでからいち主婦としての時を過ごされたのち、四十一歳の時、奇しきいんねんによって親神様が入り込まれ、この教えを伝え始められました。従って、お姿は私たちと何ら変わるところはありませんが、信心する者とふれ合う中で、到底人間業とは思われない数々の不思議をお見せくださいました。
ある時、井筒梅治郎さんが、教祖がいつも同じ台の上にジッとお座りになっているので、どこかへご案内しようと思い、「さぞ御退屈でございましょう」と申し上げると、教祖は、「ここへ、一寸顔をつけてごらん」と仰せになり、ご自分の片袖を差し出されました。
言われた梅治郎さんが袖に顔をつけると、見渡す限り一面の綺麗な牡丹の花盛りでした。それはちょうど牡丹の花の季節であり、梅治郎さんは、教祖は、どこのことでも、自由にご覧になれるのだなあ、と恐れ入ったといいます。(教祖伝逸話篇76「牡丹の花盛り」)
また、ある時、教祖は、村上幸三郎さんに、「幻を見せてやろう」と仰せられ、お召しになっている赤衣の袖の内側が見えるようになされました。幸三郎さんが、仰せの通り袖の内側をのぞくと、そこには、幸三郎さんの家の煙草畑が広がり、しかも煙草の葉が緑の色も濃く生き生きと茂っている光景が見えました。
そこでお屋敷から村へ戻った幸三郎さんが、早速煙草畑へ行ってみると、煙草の葉は、教祖の袖の内側で見たのと全く同じように生き生きと茂っているではありませんか。幸三郎さんは、安堵と感謝の思いで、思わずひれ伏したのです。
実は幸三郎さん、おたすけに専念するあまり、田畑の仕事は使用人にまかせきりにしていました。まかされた者は精一杯煙草作りに励み、そのよく茂った様子を一度見て欲しいと申していたのですが、幸三郎さんはおたすけに忙しく、一度も見に行く暇がありませんでした。しかし、我が家の大事を忘れるはずはなく、いつも心の片隅には煙草畑のことが気になっていたのです。
幸三郎さんは、神様の自由自在のお働きに感謝するとともに、気がかりだった煙草畑の様子をお見せくだされた教祖の親心に、深く感激したのです。(教祖伝逸話篇97「煙草畑」)
教祖直筆による「おふでさき」に、次のようなお歌があります。
しかときけくちハ月日がみなかりて
心ハ月日みなかしている(十二 68)
月日親神の思っていることを、人間の姿をしている教祖の口を通して皆に伝えるが、その心はあくまでも月日親神の心であり、人間の心はいささかも混じっていない。教祖のすること成すこと、すべては神の思召通りであることを、お示しくだされています。