第1168回2022年3月5日・6日放送
声は肥となる
同僚の陰口を不足に思う妻が、夫に不満をぶつけている。他人の言動でほこりを積んでしまうなんて…。
声は肥となる
ある日の食卓、奥さんが会社での不満を旦那さんにぶつけています。
「ちょっと、聞いてよ! 同僚が私のことを陰で悪く言っているらしいの。何か言いたいことがあるなら、私に直接言ってくれたのいいのに。陰でそんな風に言うなんて、何だか悔しいわ」
「それはしょうがないだろうねえ」
「どうしてよ」
「だって、君は人が陰で言ったってそれぐらい腹を立てるんだから、面と向かって言ったらそれこそ大変だ。どれぐらい腹を立てるか分からないじゃないか」
人の行いを見て、我が事のように騒ぎ出し、「どうしてあんなことを」との不足が、愚痴や悪口に発展する。この場合、陰口を言った同僚も心のほこりを積んでいますが、奥さんはあろうことか他人のほこりに影響されて、自分自身がほこりを積んでしまっています。他人の言動によって自分が運命を悪くしてしまうなんて、何だか損じゃありませんか? しかし、こういう例が世の中には実に多いのです。
神様が、なぜ私たちに目を与えられ、耳を与えられ、口を与えられたのか。目は見て喜び、楽しむためのものであり、耳は聞いて喜び、楽しむためのもの、さらに口は、人を言葉によって喜ばせ、楽しませるために与えてくださったに違いありません。
このお借りしている素晴らしい身体を、貸し主である神様の思召しに沿って使うことができれば、「ここはこの世の極楽や」とのお言葉通り、この世は限りない楽しみに満ちた世界になるはずです。
例えば食べ物に関しても、どうかすると「おいしくない」と不足をする人が多いのですが、私たちに命を授け、楽しみを与えようとご守護くださる神様の親心が分かったなら、どんなものを口にしても、神様への感謝の思いが湧き上がってくることでしょう。
さらに言えば、感謝の思いをもう一歩先に進めて、「ああおいしいなあ、ありがたいなあ」と実際に口に出して言うことが大切です。教えの先人から「声は肥」肥料である、と聞かせていただきます。私たちの出す一声一声は、自分自身の肥やしとなり、また人の心を満たす肥やしとなるのです。
となれば、陰口を言った同僚も、旦那さんに不満をぶつける奥さんも、大いに反省する必要がありそうです。言葉によって、自分がほこりを積むだけではなく、周りの人たちにもほこりを積ませてしまう。「声は肥」、肥やしであることを意識して、普段の何気ないひと言にも充分気を配りたいものです。