(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1168回

声は肥となる

同僚の陰口を不足に思う妻が、夫に不満をぶつけている。他人の言動でほこりを積んでしまうなんて…。

声は肥となる

 

ある日の食卓、奥さんが会社での不満を旦那さんにぶつけています。

「ちょっと、聞いてよ! 同僚が私のことを陰で悪く言っているらしいの。何か言いたいことがあるなら、私に直接言ってくれたのいいのに。陰でそんな風に言うなんて、何だか悔しいわ」

「それはしょうがないだろうねえ」

「どうしてよ」

「だって、君は人が陰で言ったってそれぐらい腹を立てるんだから、面と向かって言ったらそれこそ大変だ。どれぐらい腹を立てるか分からないじゃないか」

人の行いを見て、我が事のように騒ぎ出し、「どうしてあんなことを」との不足が、愚痴や悪口に発展する。この場合、陰口を言った同僚も心のほこりを積んでいますが、奥さんはあろうことか他人のほこりに影響されて、自分自身がほこりを積んでしまっています。他人の言動によって自分が運命を悪くしてしまうなんて、何だか損じゃありませんか? しかし、こういう例が世の中には実に多いのです。

神様が、なぜ私たちに目を与えられ、耳を与えられ、口を与えられたのか。目は見て喜び、楽しむためのものであり、耳は聞いて喜び、楽しむためのもの、さらに口は、人を言葉によって喜ばせ、楽しませるために与えてくださったに違いありません。

このお借りしている素晴らしい身体を、貸し主である神様の思召しに沿って使うことができれば、「ここはこの世の極楽や」とのお言葉通り、この世は限りない楽しみに満ちた世界になるはずです。

例えば食べ物に関しても、どうかすると「おいしくない」と不足をする人が多いのですが、私たちに命を授け、楽しみを与えようとご守護くださる神様の親心が分かったなら、どんなものを口にしても、神様への感謝の思いが湧き上がってくることでしょう。

さらに言えば、感謝の思いをもう一歩先に進めて、「ああおいしいなあ、ありがたいなあ」と実際に口に出して言うことが大切です。教えの先人から「声は肥」肥料である、と聞かせていただきます。私たちの出す一声一声は、自分自身の肥やしとなり、また人の心を満たす肥やしとなるのです。

となれば、陰口を言った同僚も、旦那さんに不満をぶつける奥さんも、大いに反省する必要がありそうです。言葉によって、自分がほこりを積むだけではなく、周りの人たちにもほこりを積ませてしまう。「声は肥」、肥やしであることを意識して、普段の何気ないひと言にも充分気を配りたいものです。

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