(ラジオ天理教の時間)
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第1180回2022年5月28日・29日放送

安心感は足元にある

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1157回

短い言葉や会話の中で

大事な会議に向かう途中に車がパンク。気が滅入っている時、ロードサービスの若者との何気ない会話に元気をもらった。

短い言葉や会話の中で

北海道在住  高橋 太志

 

先日、教会から約50キロ先の場所で会議があり、乗用車で移動していました。あと10分ほどで到着という辺りでコンビニが見えたので、飲み物を買おうと立ち寄りました。

お茶を買って戻ると、何か車に違和感を感じ、外観を見回すと、なんと左の前輪タイヤがパンクしていました。コンビニに入るまで、まったく問題なく走っていたのにどういうことだろう。不思議に思いましたが、まずは会議に遅れると連絡を入れ、それからタイヤを交換することにしました。ところが、トランクの下に収納されていたスペアタイヤは、ボルトが錆びていて取り出すことができません。近くのガソリンスタンドやカーディーラーに頼んでも、忙しいと断られてしまいました。

そこでロードサービスを呼び、コンビニの店員さんにもそのことを伝え、待つことにしました。私はパンクのせいで会議には遅れるし、どうして大事な時にこんな目に合うのだろうと、ただただ不満に思っていました。

少し経って、ロードサービスのトラックが到着しました。車を降りてきた若い男性は、「遅くなりました。お困りでしたね」と頭を下げると、テキパキとパンクの修理を始めました。作業中、私がすぐにでも会議に行きたいことや、近くのガソリンスタンドやカーディーラーに修理を断られたことなどを話すと、「失礼ですが、不幸中の幸いですね」と言うのです。

男性は手を動かしながら、「ここはコンビニの大きな駐車場なので、作業用のトラックも他のお客さんの迷惑になっていませんし、昼間なので安心安全に作業ができます。お客さんにとっては辛い状況ですが、作業は思ったよりも早く終わると思うので、もう少し待ってくださいね」と、マスク越しからもわかる笑顔で作業を進めてくれました。

そう考えると、確かに前日には峠を走っていましたし、夜間の高速道路も使用していました。もし、そんな時だったらと思うとゾッとしました。前触れもなくパンクしてしまったことを不思議に感じていましたが、ロードサービスの男性との何気ない会話の中で元気をもらい、滅入っていた心も修理してもらったような気がしました。

そうしている間に作業は終わり、無事に会議へと向かうことができました。予期せぬトラブルではありましたが、とても心に残る出来事でした。

それから数日後、高齢の女性信者さんから、遠方にある実家まで車で送ってほしいと電話がありました。車で2時間半ほどの道中、信者さんはしばらく見られなかった窓の外の景色を眺めていました。間もなく実家に着くという時、私はロードサービスの方が短い言葉で励ましてくれたことを思い出し、信者さんに話しかけました。

「久しぶりに実家に戻れて良かったですね」。すると彼女は、「来年はもう来れないかもしれません」と答えるのです。
「来年も機会があれば送りますよ」と言っても、「今年が最後かもしれない」と言います。

「そうであれ、今日実家に戻れたことを喜びましょうよ。久しぶりに皆さんに会えるんですから」と言っても、最後まで明るい表情にはなりませんでした。

実家に無事到着して、「会長さん、ありがとうございました」とお礼の言葉をもらい、信者さんと別れました。教会に戻る最中、なにか気に障ることでも言ったのではと振り返ってみたのですが、思い当たる会話はありません。

少し気になったのが、高齢の弟さんが入院していることでした。また、彼女自身も脊椎の圧迫骨折で一時入院していたことを思い出しました。実家に帰れることを喜んでいるのだろうと思い、色々とお話をしたのですが、それ以上に不安が大きかったために、会話の中で心が通じ合わなかったことに気づきました。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、どんな職業や身分の方に対しても「御苦労さま」とやさしく声を掛けられ、小さな子どもさんのことも決して呼び捨てにせず、「さん」付けで話されました。また、病人さんに対しては「かわいそうに」とお慈悲をかけられ、遠方からはるばるお越しになった方には、あたたかい労いの言葉を掛けられたと聞きます。

その人の心の状態に合った励ましや慰めの言葉を掛けることは、難しいことかもしれません。しかし、ロードサービスの男性は、初めて会った私に「遅くなりました、お困りでしたね」と、短いながらも私の気持ちに寄り添った言葉を掛けてくれました。それは、思いやりの心があったからこそ発せられた言葉であって、私にはそこが足りなかったのだと反省しました。

辛く悩んでいる方に対して、たとえ短い言葉や会話であっても、励まし、勇気づけ、喜びを伝えることは素晴らしいことです。そのような人を思いやる心が、人から人へとうつるよう心がけたいと思うのです。

(終)


 

しあわせデッサン母のスマホデビュー
 「人間いきいき通信」2018年6月号より

諸井 理恵

 

実家の母が、とうとうスマートフォンを買うことを決め、携帯電話ショップに同行したときのことです。店員さんに、「いい母娘(おやこ)関係ですね」と言われました。店員さんの説明を、私が母に〝通訳〟している様子を見て、「娘さんの説明が上手だ」と言うのです。

最近、私のように、親に付き添ってお店に来るお客さんが増えているのだそうです。「でも……」と、その店員さんは、あまりうれしくなさそうな顔で言葉を続けました。

「親子でケンカのようになってしまうことが多くて。怒って一人で帰ってしまった親御さんもいました」

「ああ、あるかも」と、頷きました。私も母に対して時々、説明に苦慮し、言葉を換えて何度も繰り返さなければならないことがあるからです。

携帯電話は通話とメールのみで、パソコンも触ったことがない。そんな世代の人にとって、スマートフォンは全く新しい未知の道具です。機能の一つひとつが何なのか、イメージできないのでしょう。電話をかけようと画面を開いたものの、どうやって閉じるのか? 写真を撮ったけれど、それはどこにあるのか? インターネットでいろいろな情報が見られるというけれど、テレビのようにチャンネルがあるのか?

「だから、さっき言ったじゃない」と、息子さんや娘さんは、のみ込みの悪い自分の親にイライラして、きつい言い方になってしまい、その結果、親御さんも子供にばかにされたと怒りだしてしまうのかもしれません。

「どうしてこんなことが分からないの?」
これは、親が子供の勉強を見るとき、つい言ってしまうひと言。子供にしてみれば、分からないから分からないのであって、分かるように説明してほしい、というのが本音でしょう。親子だからこそ、お互いに世話もし、相手に喜んでもらいたいと思い合うのですが、親子とは遠慮のない間柄であるがゆえに、時に言葉で傷つけ合ってしまう〝厄介な関係〟でもあるのです。

スマートフォンを無事に手に入れた実家の母ですが、使いこなすにはもちろん四苦八苦し、イライラしながら格闘する日もありました。

ところが先日、「最近、足の指が痛む」と言う主人に、それは痛風ではないかと話をしていると、母が「ネットで調べた」と言って、痛風によくない食生活について説明してくれたことがありました。

また、二十歳を迎えた孫娘のために、着物の着付けとヘアメイクの動画を検索し、成人式にはプロ並みの支度をしてくれました。さらには、人に道順を教えるのに、地図アプリを使ったり、電車の時刻表を検索したりと、いまではなんとか使いこなして、スマホ生活をエンジョイしているようです。

これは、私の教え方が良かったから? ではなさそうです。ひとえに母の、年齢を重ねても衰えない旺盛な好奇心と、人の役に立つことを喜びとしてきた生き方のおかげかもしれません。

人を教え導くとき、分かってもらえないのを相手のせいにするのではなく、こちらの真心が足りないからだと思うならば、言葉はもっと柔らかいものになるでしょう。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、「分からん子供が分からんのやない。親の教が届かんのや」(教祖伝逸話篇 196「子供の成人」)と仰せになりました。

人間の親である神様の思いを人々に伝えるために、おやさまは分からない人にも根気よく、優しく教え、導いて育てられたといいます。

教える側は、教えられる側よりも知識があり、優位に立ってしまいがちです。だからこそ心を下に置いて、分からない相手を立てるのが、教える側のあり方ではないかと思います。そうすれば、双方が満足し合える間柄になりますよね、きっと。

(終)

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