(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1125回

還暦を迎えて

昔は親や学校の先生になぜ叱られたのか、納得できないこともあった。しかし還暦を迎え、当時を振り返ってみれば…。

還暦を迎えて

北海道在住  高橋 太志

 

北海道では春先、道路の脇に残っている雪が溶けて水たまりができるので、歩行者に水が跳ねないようにスピードを落とし、慎重に運転をします。この時期、通学路では、黒や赤に限らず、にぎやかな色の新しいランドセルを背負った小学一年生や、真新しい制服を着た中学生の姿が見られ、春を感じることができます。

私はこの四月に満60歳、還暦という人生の節目を迎えました。高橋家は代々男が生まれず、婿養子を迎えることの多い家系でした。男が生まれても戦争で若くして亡くなってしまったので、それを思うと、還暦を迎えたことは、両親をはじめ、家族や支えてくれる方々、ご縁のある方々に対して感謝の言葉しか浮かびません。

振り返ってみると、いつも皆さんのお世話になっていたなと思います。色々な思い出がありますが、当時に戻ってもう一度同じ喜びを味わいたいと思うこともあれば、もう一度やり直したいと思うこともあります。もう忘れたい、辛く悲しい過去もあります。
また、当時は嫌な出来事でしたが、あのおかげで今があると後に思えた出来事もありました。

昭和50年、私が中学生の時、千歳市で台風の影響により川が氾濫したことがありました。私の住む家は高台にあり無事でしたが、近所の低地にある畑や住宅は水びたしの状態でした。

翌朝は台風が過ぎ、晴天でした。父に「学校から休みだという連絡もないので、行きなさい」と言われ、私はいつものように自転車で学校に向かいました。通学路は氾濫した川の水であふれ、作業員が懸命に復旧の作業をしていました。

途中、完全に水に浸かった道路は車両通行止めとなっていましたが、学校に向かうと言うと、「気をつけて行きなさい」と通してくれました。私は靴と靴下を脱ぎ、学生ズボンをももまでたくし上げ、裸足でペダルをこぎ、いつもより随分と時間をかけ、ようやく学校に到着しました。

しかし、苦労してやっと学校に着いたのに、担任の先生からは「どうしてこんな時に学校に来たんだ、すぐ自宅に戻りなさい!」と叱られてしまいました。

私は、こんな時によく来たねと、労い、褒めてくれる言葉を待っていましたが、仕方なく再び同じ道を裸足でペダルをこいで、自宅に戻りました。

当時は「大人はなんて勝手なんだろう、もう少し優しい言葉を使ったらいいのに」と思っていました。しかし、いま60歳になって振り返ると、担任の先生も災害に直面してパニックになっていたのだろうと思うのです。

父も「行きなさい」とは言ったものの、当時は車もなく、迎えに行くこともできないので、私が家に戻るまでは心配だったことでしょう。担任の先生も、まさかこんな状況の日に生徒が学校に来るとは予想していなかったのだろうと思うと、ついつい厳しい言葉を使ったのもわかるような気がします。私自身も、「自分だけは大丈夫だ」と安全を過信していたかもしれません。

その時は相手の思いが理解できなかった出来事も、時間が経つことによって「ものの見方」が変わり、違う感情が生まれることがあるかもしれません。当時の思い出のリニューアルです。

私たちはこのように、色々な出来事が重なり合って歳を重ねていくのですが、どのような思い出も、幸福へ向かう一つの道だと考えれば、許すという感情も生まれてくるのではないでしょうか。そして、人に対する優しさこそいちばん大切なものであり、どんな出来事にあっても忘れてはいけないものだと知ることになるのです。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、

 せかいぢういちれつわみなきよたいや
 たにんとゆうわさらにないぞや

とお教えくださっています。
また、

「子供の方から力を入れて来たら、親も力を入れてやらにゃならん。これが天理や。分かりましたか」(教祖伝逸話篇 75「これが天理や」)

とも仰せられました。
子供である人間が、一生懸命人に優しく接したい、人にたすかってもらいたいと願い、実行すれば、親である神様も大いにお働きくださり、ご守護をくださるのだと思います。

ピカピカの還暦一年生は、じたばたせず、成長と老いを楽しみ、人生を振り返った時にすべてが素敵な思い出になるよう、一生懸命、人に優しく接したいと思います。

還暦は赤のイメージがあります。今年のキャンプでは、赤いバンダナを持ち歩こうと思っています。

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