第1380回2026年4月3日配信
新たな視点
タイの信者さんから、自明であったことについて質問をよく受ける。それは自身の信仰について深く考える機会となる。
新たな視点
タイ在住 野口 信也
ご存知の方も多いと思いますが、タイには仏教を信仰する方が大変多く、国民の9割以上が仏教徒と言われています。朝から托鉢に歩くお坊さんの姿が見られ、あちらこちらには多くのお寺が点在し、電車やバスにはお坊さん専用の席も設けられており、ここは仏教国であるということが実感できます。
また、日本ではお坊さんにお経をあげてもらうのは葬儀や法事などの時と決まっていますが、タイではそれ以外にもあらゆる場面でお坊さんがお経を唱えるのです。新築祝い、新車購入、また、病気の方の平癒願いなどの時にもお経をあげます。
他にも、ロッタリーと呼ばれる宝くじの当選番号を予想するお坊さんもおられるなど、仏教は人々の生活に密着した宗教なのです。仏教本来の教えからは少し離れているように思えますが、「なぜですか?」とタイ人に質問しても、あまりはっきりとした答えは返ってきません。生活に溶け込み、それが当然となっているからでしょう。
逆に、タイ人の信者さんからも、私が日本では当然のように行っていたことについて質問を受けることがよくあります。例えば、天理教ではお祈りの時にどうして四拍手するのですか? 教会のお社にある鏡にはどういう意味があるのですか? 礼拝で床に手を付く時、手を握るのはなぜですか? どうして天理教の旗は紫色なのですか?などなど…。こうした新たな視点からの質問は、自身の信仰について深く考える機会ともなるのです。
私が修養科タイ語クラスの講師をしていた時の修養科生で、修了後、しばらく日本の所属教会に滞在していた方がいました。
その方が、本部の月次祭の日、参拝していた私の所まで挨拶に来てくれました。そして、真剣な面持ちで、「先生、聞いてください。私は修養科の時、詰所で御供(ごく)さんを頂いて友人のお見舞いに行っていました。ところが今回、同じように『御供さんを下さい』と詰所の方に言うと、『お供えをしてください』と言われました。私は一人でも多くの人に御供さんをお渡しして、たすかって頂きたいと思っているのですが」とのこと。
はっきりは言いませんが、どうしてお供えをしなければ頂けないのですか?という質問のようです。
この方は、修養科を修了して信仰的にも一歩成人されたので、教会としてはお供えを、ということなのでしょう。しかし、そこまで詳しく説明をされなかったため、「なぜですか?」と疑問に思ったようです。
あまり考えたことのない質問に少し戸惑いましたが、私はおたすけに行く時、特に重病の方の時には、教祖殿のお守所へお供えをさせて頂き、そこで御供さんを頂いておたすけに行っていたので、次のようにお話をしてみました。
「その御供さんですが、教祖殿にお供えをさせて頂くと、判の押された小さい包みに入った御供さんを5つ頂くことができます。では、もし私が10円お供えしたら、一包みいくらの計算になりますか」
「2円です」
「そうですね。では、100円お供えしたらいくらですか」
「20円です」
「そうですね。では、あなたがどうしてもこの重病の方にたすかってもらいたいと、1万円お供えしたとします。そうしたら、一包みはいくらになりますか」
「2,000円です」
「そうですね。詰所の方は、お供えをすることで、御供さんの大切さをあらためてあなたに分かってもらいたかったのではないでしょうか」
そう説明をし、何とか納得して頂きました。私自身も、お供えに関しての考えを整理するとても貴重な経験となりました。
また、日頃当然のように行っている天理教のお祈り「おつとめ」について、その大切さに改めて気づいたことがあります。
それは、タイから教育省の高官の方々がおぢばがえりをされ、神殿、教祖殿をご案内した後、「全学参拝」をご覧頂いた時のことです。
この全学参拝は、天理小学校、天理中学校、天理高校の生徒をはじめ、天理教語学院などに通う外国人の生徒も、毎日学校へ行く前に教会本部の神殿に集合し、「おつとめ」を一斉につとめるのです。
タイの高官の方々は、学生たちが真剣に神名を唱えて手を振り、おつとめをする姿をジーッと見つめ、学生がおつとめを終えて登校して行く姿を見ながら、「このお祈りは月に何回ぐらいされるのですか?」と質問をされました。そこで私が「はい、毎日です」とお答えすると、一人の方が、おもむろに「この学校は日本一の学校ですね」と仰いました。それほど心に響く光景であったようです。
仏教大国のタイでさえも、時代の波に逆らうことは出来ず、信仰離れが進んでおり、タイで教育に携わる方々の中には、その影響が、特に子供たちの教師や学習に対する態度や、家庭生活の乱れにつながっていると捉える向きもあるようです。
タイのことを思い、子供たちの将来を真剣に憂うこうした方の「日本一」という言葉には、大変重みがあります。これからも、一人でも多くの方を、この人類のふるさと「ぢば」へお誘いし、共におつとめをつとめることを目標に頑張りたいと思います。
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