(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1134回

夏になると思うこと

東日本大震災直後のこどもおぢばがえり。被災地域からも、数多くの子供たちが参加していた。

夏になると思うこと

北海道在住  高橋 太志

 

毎年、夏休み期間中に、奈良県天理市で開かれてきた「こどもおぢばがえり」には、日本各地や海外から多くの子供たちが参加します。私はその行事の一つ、ビデオや絵を使って神様のお話をする「おやさとやかた講話」で講師を務めていました。

毎年、多くの子供たちを前にお話をします。大人数の団体もあれば、小さなきょうだいと親御さんだけの、ひと家族の団体もあります。眠気に負けてしまいウトウトする子がいたり、お話の途中に質問をしてくる元気な子、こちらの問いかけに「はーい」と大きな声で手を挙げてくれる子、お話が終わった後も、いつまでも部屋に残って話しかけてくる子など、初めて会う子供たちとのわずか30分ほどのお付き合いですが、とても楽しい時間を過ごします。帰り際には、ハイタッチをしながら子供たちを見送ります。

10年ほど前のことです。あの年の夏も比較的人数の多い団体の担当になり、子供たちと言葉のやりとりをしながら、絵を使ってお話をしました。お話の終盤に「おうちに戻ったら、お父さんお母さんのお手伝いをしてくださいね。きっと喜んでくれますよ」と話した時、小学生の男の子が「お父さんとお母さんは海に流されちゃった」と、大きな声で話しかけてきました。その団体は、東日本大震災で津波の被害にあった地域から来ていた子供たちの団体だったのです。

「子供に何ということを言わせてしまったのだろう」
私は突然、明かりのない夜道に迷ったように言葉が見つからなくなってしまいました。その間、部屋の誰もが言葉を発することなく、沈黙の時間が流れました。

どのくらい無言が続いたのか、その感覚さえも分からない状態のなか、その男の子が「今、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らしているけど、おじいちゃんやおばあちゃんのお手伝いをしたらいいですか?」と、みんなに聞こえるような大きな声で尋ねてきました。

私は努めて明るい声で、「そうだね、おじいちゃんやおばあちゃんのお手伝いをしてね。きっと喜ぶよ」と答えました。すると男の子は、「うん、わかりました」と、また大きな声で返してくれました。そして、何とも安心したような笑顔を浮かべました。

お話の時間が終わり、いつものように子供たちと出口でハイタッチをしてお別れをしました。最後に引率の大人の方が部屋を出る時、私は「申し訳ないことをしました」との思いを込め、無言で頭を下げました。引率の方は、「よくあの長い時間、子供の言葉を待ってくれましたね」と言ってくださいました。私は待った訳ではなく、言葉に迷っていただけでした。あの男の子は自分で現実を受け止め、自分一人で考えて答えを見つけたのです。

講師の控室に戻り、この話をすると、「亡くなったお父さん、お母さんもきっと喜んでくれていますね」と講師仲間が声を掛けてくれました。

私の母は、子供の時、父親の戦死という現実に遭いました。父親がいない幼い頃の寂しい生活を、80歳を過ぎた今でも不意に思い出し、悲しみに暮れることがあると言います。

あの男の子の、お父さんお母さんを失った悲しみは、これからも消えることはなく、その悲しみは、日常の中で不意に訪れることもあるでしょう。しかし、たとえ亡くなってしまっても、家族であることには違いないと思うのです。

天理教では、「神様は、人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいと思召され、人間をお造りになった」と教えられています。家族とは、その陽気ぐらしに近づくための身近な存在として、神様が引き寄せてくださったお互いであると信じるのです。

男の子とご両親は、長い間ではなかったかもしれませんが、家族として仲良くたすけ合って過ごした日々を、神様は必ずお喜びくださっています。年月が流れ、男の子もやがて新しい家族にめぐり合うことでしょう。その新たな家族との生活の中で、共に喜び合える生き方を見つけて欲しいと願っています。

私は毎年夏になると、あの男の子を思い出し、幸福を願うのです。そして、「家族とは何か」を、あらためて考えるのです。

 



家族のハーモニー「異国で出会った少女」
 「人間いきいき通信」2019年11月号より

白熊 繁一

 
「先生、私ナオコです。分かりますか?」

受話器から聞こえる懐かしい声の主は、私と妻が若き日、ブラジルの日本語学校で教師をしていたときの生徒だった。当時まだ小学生だった彼女の、あどけない顔がすぐに浮かんだ。

直子ちゃんは日系二世のブラジル人だが、日本人の彼氏と出会って結婚し、現在は日本で暮らしている。私は数年前、里親として子供たちと過ごす日々の情景をつづった『家族を紡いで』という詩文集を上梓したが、その本を読み、夫婦で里親を始めたと聞いて、えも言われぬ嬉しさが込み上げてきた。夫婦が所属する里親会に、話をしに来てほしいというのが電話の内容だった。断る理由などなく、二つ返事で引き受けた。

四月、その会場で直子ちゃんとご主人に会った。少女のころの面影が残る直子ちゃんとは、懐かしさのあまりブラジル流にハグをしながらのあいさつとなり、三十数年の時空を飛び越えて、当時の教師と教え子に戻った。

その日、講演を終えた私に、夫婦は現在養育している三人の里子を紹介してくれた。元気にあいさつする子供たちの屈託ない笑顔に、夫婦がたっぷりとかけている愛情を感じた。

翌日は、ご主人の運転で観光地を案内してくれた。私が住む東京は、すでに初夏のような陽気だったが、その地にはまだ雪が残り、大自然の景色を堪能した。足元にフキノトウが群生し、二人はそれを摘んで、大好物だという私にお土産として持たせてくれた。

車中でも食事のときも、懐かしいブラジルのことや、養育する子供たちのことなど話題は尽きなかった。私たち夫婦がブラジルで出会った子供たちとは年々、連絡が途絶えていったが、子供たち同士はいまもつながっている。直子ちゃんは、誰それが結婚したとか、その相手のことや住んでいる場所まで、詳しい近況を教えてくれた。一人ひとりの顔が浮かんでくるが、それはもちろん子供のときの顔で、いまの様子は想像すらできない。

直子ちゃん夫婦に見送られ、その地を離れた数日後、直子ちゃんからメールが届いた。そこには「子供のころ、迷惑ばかりかけて、遅くなったけど、ごめんなさい」と書かれていた。思春期には誰にも覚えのある出来事なのに、いまでもそのことを覚えてくれている。その姿から、立派な大人に、そして頼もしい母親になったと感じた。

メールには、これからも子供たちのことで相談に乗ってほしい、とも書かれていた。以後、里子たちの様子を時折知らせてくれる。若い夫婦が、三人の里子たちの親として、日々心を砕きながら養育している情景が目に浮かぶ。そのことを、私は何よりも尊く思い、彼女からのメールそのものが嬉しいと返信している。

子供を育てる日々は、喜びも多いが、悩みも尽きることはないだろう。親は子供の表情や仕草に一喜一憂し、右往左往するものだ。時折、さまざまな方から子供の養育について相談を受けるが、私は個々の悩みに応えることよりも、その方たちの気持ちに寄り添いたいと、常々考えている。どんな悩みも気軽に打ち明けてもらえるように―。

直子ちゃんのメールには、自分を育ててくれた親への感謝の思いもあふれていた。これさえあれば何も心配はいらない。子供たちを抱きしめて生きる若い夫婦を、いつまでも私の心のなかで抱きしめていたい。

(終)

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