第1106回2020年12月26日・27日放送
息苦しさはストレスからだった
9年前、突然、毎晩息苦しさを感じるようになった。医師に強いストレスだと言われ、思い当たることがあった。
息苦しさはストレスからだった
北海道在住 高橋 太志
9年前の2月頃、私は突然、夜になると息苦しさを感じるようになりました。日中は何も感じないのですが、毎晩、風邪でもひいたのかな? 疲れているのかな? と思いながら落ち着くのを待って寝るのが常でした。
ある晩どうしても寝付けず、翌朝、妻に促され、市内の大きな病院で診察を受けることにしました。医師からは、「がんの可能性もあるので、詳しく検査をしましょう」と言われ、思ってもいなかった「がん」という言葉に、目の前が真っ暗になりました。
いくつか検査を受けているうちに、ショックからなのか、恥ずかしながら身体に力が入らず歩くこともできなくなり、看護師さんに車椅子を押してもらいながら、検査室を移動しました。
たまたま来院していた信者さんが私のその姿を見て、慌てて妻に連絡をしてくださったようで、妻がすぐに駆けつけてくれました。その後、MRIやCTなどの検査を終えると、医師から説明がありました。
「幸いがんは見つからず、他の特定の病気もありませんでした。考えられるのは強いストレスです。息苦しさが続くようでしたら、心療内科を受診されてはいかがですか」。
特に薬も処方されず病院を後にしましたが、強いストレスという言葉で思い当たることがありました。
当時、私は天理教の教会長をつとめるとともに、地域や学校からの依頼で、PTAの副会長、民生児童委員、教誨師の役をほぼ同時期に受けていました。せっかく頼まれたのだから、お役に立てるよう一生懸命つとめよう、決して迷惑をかけないようにしようと思っていました。
しかし、不器用な私は、時間のやりくりもうまく出来ず、会合を度々欠席することがありました。
皆さんに喜んでいただこうと思えば思うほど、次第に焦りはじめ、常に緊張した状態が続きました。そのうち「いつも周りの人たちに迷惑ばかりかけている」と自分を責めるようになり、自分の存在がどんどん小さくなっていくように感じていました。
病院から自宅に戻っても心が晴れず、ストレスを軽くするにはどうしたらいいのだろうと、インターネットで検索をしていました。
すると、「一人ひとりが必ず誰かの支えになっている」という言葉が目に飛び込んできました。
その言葉にハッとしました。こんな頼りない私でも誰かの支えになっているのだと思うと、肩の力が抜け、なぜか涙が出てきました。そして、私を支えてくれている多くの人の存在にも、改めて気づくことができました。
「自分が生きていることが誰かの役に立っている。私たちはつながり合っている」という思いが次第に大きくなり、「自分のせいでみんなに迷惑をかけている」という思いは小さくなっていきました。
天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、葡萄の房を例えに、
「世界は、この葡萄のようになあ、皆、丸い心で、つながり合うて行くのやで」(教祖殿逸話篇 135「皆丸い心で」)
と教えてくださいました。
「丸い心でつながり合う」という言葉が、私に勇気を与えてくれました。丸い心とは、柔らかくて優しい心です。丸ければこそ、一つの房にたくさんの実がなり、お互いにつながり合っていけるのだと思います。
それからは家族にも協力してもらい、時間の調整をしながら、丸い心で人と接することを意識しました。そうして、地域や学校の役職を通して出会う方々に感謝の気持ちが芽生えてくると、不思議に息苦しく感じることも少なくなりました。
現在はPTAと民生委員の役は終えましたが、少年院及び女子少年院担当の教誨師を続けており、情操講話などを通して更生のためのお手伝いをしています。あれほど毎晩苦しんでいたのが嘘のように、今では息苦しさを感じることもほとんどなくなりました。
その年の秋の風を感じる頃、市内に住むインド人の男性が教会へ参拝に来られました。
参拝の理由をお尋ねすると、友人に「世界の平和を祈りたい」と話したところ、うちの教会を紹介されたとのことでした。
天理教のことは全く知らないという彼に、早速英語のパンフレットで教えについて知っていただき、作法を説明しながら一緒に参拝をしました。彼はそれから月に一度、仕事帰りに参拝してくださっています。
この男性とのお付き合いを通して、生まれた国や話す言葉が違っていても、世界の平和を願う気持ちは一緒だということを実感しました。
私たち人間は神様の子供であり、お互いは皆きょうだいです。許し合い、励まし合いながら、丸い心、感謝の心でつながり合うことで、平和に近づけるのだと思います。
これから日を重ね、季節がいくつも変わる中で、私は多くの方と出会い、お付き合いをすることでしょう。そして、愛すべき家族と楽しい時間を過ごすことでしょう。
一時は悩み抜いた、あの息苦しさの経験には、素晴らしい意味がありました。来年は教会の敷地に葡萄の木を植えようと思っています。
教えは人生の道しるべ
神様の教えは、私たちが人生を歩む上での、確かな道筋を示してくださいます。
会社同士での大掛かりな取引を控えていたAさん。職場の先輩から、「厳しい姿勢で交渉するというより、お互いのより良い着地点を見つけるという気持ちで臨むほうがうまくいくよ」とアドバイスを受けました。
それまでAさんは、できる限り自分たちに有利な契約を交わすことが最善だと思っていたのですが、先輩の言葉を聞いてスッと肩の力が抜けたそうです。
その言葉通り、先方に協力する気持ちで商談に臨むと、自社の利益にはそれほど結びつかなかったものの、大きな信頼関係を築くことができたのです。さらに後日、先方から有利な案件を次々と提供してもらい、そのおかげで会社の利益も上がり、Aさんの社内での評価も一気に高まったのでした。
その時、Aさんの脳裏に浮かんだのは、天理教教祖・中山みき様「おやさま」の
「商売人はなあ、高う買うて、安う売るのやで」(教祖伝逸話篇 165「高う買うて」)
とのお言葉でした。
交渉に臨む際は、先方の値打ちを高く買い、自らの立場を低くする。そうして相手に喜んでもらうことが、共に喜び、共に栄える姿として表れるということをAさんは肌で実感したのです。
また、会社でやり甲斐のある仕事が回ってこずに、不足の思いを募らせていたBさん。上司との関係もうまくいかず、悶々とした日々を過ごしていました。
そんな中、Bさんを目覚めさせたのは、教祖の次のような逸話でした。
明治十七年、教祖は奈良監獄署に拘留されました。その時、教祖と一緒に拘留された鴻田忠三郎さんが便所掃除を命じられました。
忠三郎さんが掃除を終えると教祖は、「鴻田はん、こんな所へ連れて来て、便所のようなむさい所の掃除をさされて、あんたは、どう思うたかえ」と尋ねられました。忠三郎さんが、「何をさせて頂いても、神様の御用向きを勤めさせて頂くと思えば、実に結構でございます」と申し上げると、教祖は、
「そうそう、どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで」(教祖殿逸話篇 144「天に届く理」)
とお諭しくだされたのです。
この逸話を読んで、目の前がすっきり晴れたというBさん。
「どんな仕事も神様から与えられた御用だと思い、自分なりに工夫して積極的に取り組もう」と、心の向きを変えることができたのです。
(終)