(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1097回

今が一番しあわせだな

教会に毎日参拝に来られていたご夫婦。高齢になり、お互いにもの忘れをするようになったという。

今が一番しあわせだな

北海道在住  高橋 太志

私には3人の子供がいます。子供たちが小学生の頃には、よく一緒にはしごを使って屋根に登り夕焼けを眺めていました。田舎なので、沈んでいく真っ赤な太陽がはっきり見えます。子供たちはその大きさや明るさ、ゆっくりと沈んでいく様子に驚いていました。そうしているうちに「ご飯ですよ」と妻から声を掛けられ、屋根を降りるのが日常でした。

子供たちと自然の風景を共有することが、私にとっては素晴らしい時間でした。今思うと、記念に写真を撮っておけば良かったと悔やむのですが、その時の風景はなぜか思い出としていつも写真のように心に浮かびます。

私の教会にも、写真がなくても思い出として心によみがえる方々がおられます。
千歳市内に住むそのご夫婦は、私の父と同年代の方で、スポーツ用品店を経営していました。旦那さんは得意の英会話を生かし、1972年の札幌オリンピックではボランティアとして活躍されました。また、市内の山岳救助隊に参加するなど、何事にも積極的に取り組む方でした。

お店を他の方に譲ってからは、ご夫婦で毎日参拝に来られました。旦那さんは豊富な知識や経験を私たち夫婦や子供たちに話してくださり、料理上手の奥さんは様々な生活の知恵を教えてくださいました。
いつも私たち家族の力になってくれるご夫婦を「おじさん、おばさん」と親しみを込めて呼び、みんなで慕っていました。

そのご夫婦も高齢になると毎日教会に来ることが難しくなり、一月に数回ほどになりました。
そして会うたびに「最近、もの忘れをするようになった」と話すようになりました。夫婦二人きりで暮らしていたので、不安は大きかったのではないかと思います。

しかし、私の妻がご夫婦の自宅を訪れた際、お互いがもの忘れのおかげで色々な失敗をしたこと、一緒に探しものをしていたら、まったく見当外れの場所で見つかったことなどを、笑いながら妻に話してくれたというのです。

そして旦那さんがこう言ったそうです。
「僕は今が一番しあわせかもしれない」。
奥さんも同じように笑ってうなずいていたと言います。もの忘れをしても相手を許し、笑顔で暮らしている。忘れることさえも前向きに味わっている姿に、妻はびっくりしたそうです。

以前仕事をされていた時は、旦那さんは従業員に大変厳しく接することもあり、奥さんも随分怒られたことがあったと聞いていたので、そのおおらかさにとても驚きました。

普通はもの忘れをする相手を責め、自分がもの忘れをすれば不安が募り、何事にも自信が持てなくなります。しかし、ご夫婦は今までできていたことができなくなるという不安を素直に受け入れ、相手の失敗さえも優しく受け止めていたのです。事実は一つであっても受け取り方によって、その人の見える世界はまったく違った風景になります。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、

 日々嬉しい/\通れば、理が回りて来る
 (おさしづ M34.7.15

と教えてくださいました。また、

 「どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる」
 (教祖伝逸話篇144「天に届く理」)

とも教えられています。ここでの「結構」とは、満足や感謝という意味にとれると思います。

人はそれぞれ違う考えや価値観を持ち、個性も違います。夫婦や家族でさえ例外ではありません。
そんな中で「私のことを分かってくれない」とストレスを感じたり、自分の考えを素直に伝えることができずに、辛い思いをする方もいるでしょう。

しかし、たとえ価値観が違っていても、分かり合えなくても、お互いが幸せを感じることもあります。それは「相手はこう思っているのではないか」と、思いやりの心、優しい心で接していることが伝わった時です。

ご夫婦は、もの忘れをしても、それを辛いこと、嫌なことと思わず、一緒に笑い合いながら探したり、むしろ楽しんで暮らしているように見えます。それはきっと、相手を認め、慈しむからこそ生まれた、優しい思いやりの気持ちの表れだと思います。

私も最近、もの忘れをすることが多くなってきたような気がします。探し物をする時間も増えました。そんな時、ご夫婦の笑顔が写真のように心に浮かびます。そして、旦那さんが妻に言った言葉が思い出されます。

「今が一番しあわせだな」

その言葉だけは、忘れないようにしていきたいと思うのです。

 


 
神様のお働きはどこにでも

丸いボールは転がったり弾んだり、ある一定の法則によって動きます。そのボールを堅い棒で叩くと、その角度や強度によって高く遠くへ飛んでいったり、ゴロゴロと転がったりします。お馴染みの野球やソフトボールといったスポーツは、このような性質を利用して考えられたものであり、私たち人間はこのようにして、自然の法則を活かしたゲームを自ら考え、楽しむことができます。

また私たちは、より快適で便利な生活を送りたいという欲求から、知恵をしぼって様々な道具を作りだそうと努力を重ねてきました。球体は転がるという性質を活かそうと考えた人が荷車を思いつき、それがやがて馬車となり、自転車や自動車へと発展していきました。

この世界にも、そして私たち人間の体内にも、それぞれの働きや性質があります。これらを当たり前のことと済ませるには、あまりに不思議なことが多すぎ、考えれば考えるほど有り難いということに気づきます。便利な道具や機械を作ったのは人間でも、丸いものが転がるという自然の摂理は、人間が作ったものではありません。

神様のお言葉に、

 たん/\となに事にてもこのよふわ
 神のからだやしやんしてみよ (「おふでさき」三 40)

とあります。

私たち人間の営みを含め、この世界に起こることのすべては、神様の身体の中で行われていることです。そして、その不思議なお働きの数々は、人間とこの世界をお創りくださったそもそもの理由、すなわちすべてが陽気ぐらしをするためにあるのです。

天理教では、このような神様のお働きを「十全の守護」といいます。
十全とは十割、百パーセントで、足りないものはないということを意味します。陽気ぐらしに必要なものを、神様は私たちに十分に与えてくださっているのです。

私たちは便利さを求める中で、それが利益を生み出すことに気づくと、時として欲を出し過ぎて失敗したり、それが人との衝突につながることもあります。しかし、すべての自然界の法則に、神様の親心がこもっているという真実に気づけば、それを活かして、さらに楽しい暮らしへとつながる発明や工夫ができるのではないでしょうか。

(終)

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