(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1247回

いのちを深め合う

夫婦とは〝いのちを深め合う〟二人。恩師からもらった結婚祝いのメッセージに、常にそうありたいと歩んできた。

神様を知る手引き

 

病気は短期的に見れば悪いことに違いありませんが、長い目で見れば必ずしもそうではない。むしろ喜ぶべきことであり、また、そうした考えに至ることができれば陽気ぐらしに近づけるというのが、天理教の基本的な態度です。

私たちは、病気を通じて身体の不自由を感じ、その原因を探る中で、身体は神様からのかりものであることを知ります。そうして身体の内に働く神様のご守護に目覚めることで、人生の新しい一歩を踏み出すことができます。そういう意味からすれば、病気とは、神様と人間との「出会い」の場面であるとも言えるでしょう。

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、

  なにゝてもやまいいたみハさらになし
  神のせきこみてびきなるそや  (二 7)

 

とあります。
病気とは神様の急き込みであり、手引きである。すなわち、神様がその存在と意思を私たち人間に知らせるための手段なのです。神様は、人間の心のほこり、間違った心遣いを残念に思い、やむを得ず病気に表して、心のほこりが身の障りとなったのだから、今のうちにほこりを払うようにと、たすけを急き込んでくださるのです。

 

  にんけんハみな/\神のかしものや
  なんとをもふてつこているやら (三 41)

 

私たちは、この身体を神様からお借りしているにもかかわらず、それに何ら思いを致すことなく漫然と生き、不安の中に死を迎えることが少なくありません。

しかし、かりものであることを十分自覚できれば、神様に生かされている喜びに満たされます。そしてその喜びの心で生きるならば、よくぞこの世界に生まれてきた、ぜひとも神様の望まれる陽気ぐらしを味わいたい、との思いに至るのではないでしょうか。

 


 

のちを深め合う

奈良県在住・臨床心理士 宇田まゆみ

 

この原稿を書いている今日は、奇しくも私たち夫婦の結婚記念日です。天理教の時間のメインテーマである「家族円満」ということを考えた時、その中心はやはり夫婦であることを、今日という日に改めて感じています。

家族の一番小さな単位が夫婦です。そして、家族の中で夫婦だけが血のつながりのない他人ということになります。その他人同士であるペアだけが、新しい家族をつくることができるというのは興味深いものです。

以前、父から生まれ育った我が家の家系図を見せてもらったことがあります。わかる範囲で書かれた家系図でも、膨大な人数の名前が記されていました。私が実際に知っているのは、その中でもほんの少しだけです。そして、脈々と流れる家系の一番先頭にいるのが自分です。

父と母が結ばれてくれたおかげで自分が存在し、その父と母も、それぞれの父と母が結ばれたおかげで存在することができている。誰もがそのようにして存在するという事実を考えると、家系の中の誰一人欠けても今の自分は存在しないかもしれない。今ここに自分がいることが、本当に奇跡のように感じられます。

そして結婚することで、別々の流れを成していた家系がつながり、新しい家系図を作ることになります。私の子孫に当たる人が何百年、何千年後かに、自分のルーツを辿ることがあるかもしれない。その膨大な家系図の中の一つを自分が担い、その大事な人生を今、生きているのだと考えると感慨深いものです。自分で自分の人生を生きるだけではなく、その後に続く人にも影響を与えることになるのですから。

私が夫と結婚した時、尊敬する人生の恩師から、このようなお祝いのメッセージを頂きました。

「末永く いのちを深め合う お二人でいてください」

いつも真摯にいのちと向き合っておられる恩師からのメッセージが、心に深く染み込んで、結婚というのは、お互いがいのちを深め合うことなのだと、分からないながらも分かったような気持ちになり、そうでありたいと常に思ってきました。

全くの他人である二人が夫婦になり、新しい家族をつくる時、それぞれのもつ家族としての体験が融合され、まったく新しい家族のかたちが生み出されたりするものです。

自分にとって当たり前の感覚が通用するとは限りません。私自身も夫と共有できる面と、まったく異なる面の両方を体験し、「いのちを深め合う」べく対話を続ける中で、だんだんと自分本来の感覚を引き出してもらっていると感じるようになりました。

カウンセリングの現場にいると、お互いがまるで鏡に映し出しているかのように、対照的な人生のテーマを抱えている夫婦に出会うことが少なくありません。

たとえば、四角四面で、常にきっちりしていなくてはいけないと窮屈なぐらいにとらわれている妻に対して、夫がちゃらんぽらんで自由人である、という場合があります。夫婦とは、自分が必要とするものを相手の中に見つけて、お互いに足りないものを補い合う関係である。そのように思って眺めると、本当に見事な組み合わせになっていると感じることが多くあります

人は生まれてから成人するまでの間に、関わりを持った先生や両親など、大人から色々なものを吸収して成長します。その最たるものが考え方や価値観です。幼少期にどんな大人と出会っているかで、人生は大きく変わると言われる所以です。

自分で作り上げたと思っている考え方や価値観も、「それは元々誰のもの?」とあらためて問いかけると、そのほとんどが本来、自分のものではありません。これまで関わりのあった人や出来事から与えられたものによって、今の自分が成り立っている。そう思った時に、その考え方や価値観を見つめ直し、再構築する機会となるのが、夫婦の対話です。夫婦となることで、生まれ育った家族の中にはなかった価値観に出会います。それは、生まれ育った家族の中の「当たり前」が崩れる瞬間でもあります。

夫婦の間において、自分の考えがスムーズに分かってもらえなかったり、相手の言うことが腑に落ちなかったりすると、もやもやしたり、時に悲しくなったり、イライラしたりします。それはある意味、自分が当たり前だと思ってきた価値観に縛られている姿だと言えます。

先ほどの例で言うと、四角四面できっちりしていなくてはいけないという価値観を身につけてきて、自分でも苦しい思いをしているのに、自由人の夫はそのことを全く分かってくれない。悲しくもなるし、イライラもする。

この時に、夫婦とは「いのちを深め合う」ものなのだという視点で捉えてみると、少し俯瞰して相手と自分を眺めることができます。もう少しぐらい、自分に自由さを与えていいのかもしれない。そのことを夫が身をもって教えてくれているのかもしれない。そんな風に思うと、気持ちが少し楽になるのではないでしょうか。

夫婦の関係は、今までの当たり前の感覚を揺るがし、自分自身のあり方をより自分らしく変化させてくれる可能性を持っています。色々な価値観を共有しながら、お互いに尊重し合い、「いのちを深め合う」夫婦であることを楽しみたいと思う、今日この頃です。

(終)

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