(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1235回

持ち味を生かす

人は、それぞれが独自の持ち味を持った尊い存在である。その持ち味を生かして人生を楽しむには。

出直し

 

世界には様々な宗教がありますが、どれも何らかの形で、人間の「死」という避けがたい問題を扱ってきました。科学や医学がいかに発達しても、この「死」の問題だけは、納得のいくような説明ができないのです。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、人間の死を「出直し」だと教えられています。出直しというのは、心新たに再出発することです。今まで色々な道を歩んできた者が、もう一度原点に立ち戻ってやり直そう、というのが「出直し」という言葉の一般的な意味です。

そこには暗いイメージはなく、むしろ明るい希望が込められています。死というものは、単なる終わりではなく、一つの始まりである。人生の終着点であると同時に、新たな人生の出発点である。教祖はこのことを、「古い着物を脱いで、新しい着物と着かえるようなもの」と、分かりやすいたとえで示されています。

私たち人間の身体は、元の親である親神様から貸し与えられているもの、つまり人間にとっては「かりもの」です。自分のもののようであって、自分のものではない。ゆえに、死ねばそれをいのちの元の親へお返しするのは、当然のことなのです。

人間は誰でも、ものを人から借りれば、必ずお礼を言ってお返しするでしょう。それと同じで、私たちはいつかこの世を去る時、長年の間親神様からお借りして、結構に使わせて頂いたこの身体を、感謝の気持ちを込めてお返しすれば良いのです。

いつお返しすることになるかは、親神様の決めることです。しかし、お返ししてもそれで終わりではありません。人に物を返したからといって、返した人はそれで終わりになるでしょうか。「借り主」は依然として生きています。そして、「貸し主」との関係も、変わらずに続いていくのです。

その「借り主」こそ人間の魂なのです。身体は死んでも、魂は生き通し。身体を中心としたものの見方から、魂を中心としたものの見方へと180度転換すること。これが、親神様の望まれる陽気ぐらしへ近づくための道なのです。

(終)


 

持ち味を生かす

 

奈良県在住・臨床心理士  宇田 まゆみ

 

友人から勧められ、多肉植物を育てるようになり、その種類の多さにびっくりしました。トゲトゲしたものから、葉っぱがフワフワのもの、ぷっくりとした肉厚のものなど、どれも芸術的な美しさや可愛らしさがあり、すっかりその魅力の虜になってしまいました。

先日、大きく伸びた茎を切って、挿し木をしてみました。初心者の私は、多肉植物の挿し木の仕方や増やし方を調べてみてびっくり! 多肉植物の場合、他の一般的な植物と違って、挿し木のために切った茎を水に挿してはいけないのだそうです。

これまでの習慣からすると、植物が萎れてしまわないように、切ったらできるだけ早く水に挿して、水を吸い上げる方がいいと思っていましたが、多肉植物は逆に、しばらく水をやらずに、切った茎の部分を乾燥させるのです。そして土に植えた後も、すぐには植木鉢に水をやらないのだそうです。

そのことを知って驚き、水をやらないで大丈夫なのかと心配になりましたが、書かれてある通りに挿し木をすることで、とても元気に成長しています。

この多肉植物の性質に合わせた育て方を知って、これは子育てや人育てにも通じるなと感じました。

これまでの習慣から当たり前のようにしている声掛けが、本人の性質に合わないこともあるかもしれません。世界中にはおよそ80億人の人が存在していますが、その中で誰一人同じ人が存在していないというのは、考えてみるとすごいことです。極めてよく似ていると言われる一卵性の双子であっても、それぞれに個性があり、同じではありません。

「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞさんの有名な詩のとおり、そこには優劣も存在しません。かけがえのない一人ひとりとして存在するのが私たち人間です。そう考えると、何と尊いものでしょう!

一人ひとりが独自の持ち味を持った尊い存在として生きている。せっかくなら、その持ち味を生かして人生を楽しみたい。そのような人生が送れるかどうかに大きく影響を与えるのが、子どもの頃の体験です。自分の持ち味を認めてもらった経験が、その後の生き方に大きく影響するのです。

親の愛情はとても深いもので、とにかく子どもには健やかであってほしい、そして出来る限り子どもの可能性を伸ばしてあげたいと思う親御さんがほとんどだと思います。

そのためには、今までの習慣や、自分が正しいと思っている教育方法が、目の前の子どもに相応しいのかどうかを見極める必要があります。合わない場合、子どもが自分の能力を発揮できずに苦しむだけでなく、親もどうしてよいのか分からないという状況に陥ることも少なくありません。

カウンセリングの現場にいると、そのような親子に出会う機会が多くあります。親が悪いのかというと、そうではありません。子どもがどういう存在で、どんな持ち味があり、どのようにしたらそれを生かすことができるのか、ということを知らなかっただけなのです。もっと言えば、親自身も自分の持ち味を分からずに生きている場合が多いのです。

その持ち味には、色々なものが含まれます。たとえば、何かをする時には考える前に動くという人もいれば、逆に動く前によく考えるという人もいます。人のために何かをしたい気持ちが強い人もいれば、自分の成長のためにとことん集中できるという人もいる。人を楽しませることに長けている人もいれば、地味にコツコツと職人のように取り組める人もいます。

親と同じような持ち味を持つ子もいれば、全く異なる持ち味をもつ子もいます。親や周囲と同じものを持たなければいけないということはありません。持って生まれたものには良いも悪いもなく、それがその人の持ち味なのです。

自分の短所や悩みの元だと思っていたことが、実は自分の持ち味として捉えていい面だったということも少なくありません。各自がそれぞれの持ち味を知り、それを生かすということが大事だと思うのです。

人は一人では生きていけません。おぎゃあと生まれた後は、何から何まで親や養育者のお世話になります。持っている能力や可能性は豊かであっても、自分一人では何一つできない状態で生まれてくる。そう思うと子育ての重要性が身に沁みます。

人とのコミュニケーションの取り方や、仕事や物事の進め方の知恵など、年長者でないとできないことがたくさんあり、教わることもたくさんあります。若い人にはない経験値を持った大人が、未開発の能力を持つ子どもを育てるという子育ての仕組みは、豊かな可能性に溢れています。

それには、年齢や経験の差を超えた、お互いに対する尊敬が大切です。大人が子どもを尊敬することで、子どもからも尊敬が返ってくる。人としての豊かな可能性を広げるために、一人ひとりの持ち味を大切に生かす視点を持ちたいと切に願っています。

(終)

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