(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1228回

ふさわしい場所

自分はなぜこの場所に、この両親のもとに生まれてきたのか。偶然か、それとも何らかの使命があるのだろうか。

胸の奥にこの花あるかぎり

 「ちょっと立ち止まって」

 

看護師を教育するときは、知識・技術・態度が正三角形になるように育てねばならないといわれる。看護ようぼくの育成において、態度、すなわち看護を行うに当たっての心の目標(めどう)は、天理教教祖・中山みき様「おやさま」のたすけ一条のお心である。おやさまの手足となる者として、恥ずかしくない自分であるか、常に問いかけなければならない。

患者さんは、病を得て心が研ぎ澄まされているので、自分のところへ来た人が、本当に自分のために来てくれたのか、それとも業務で来たのかを瞬時に見分けられる。たとえば、病室から看護師が出てきたばかりなのにナースコールが鳴ることがある。不思議に思って、「さっき、看護師が来ていましたよね」と尋ねると、「ああ、あれは白衣が入ってきただけ」との返事。白衣が点滴を取り替えに来ただけだから、ほかのことは何も頼めないというのである。

医療現場の状況は年々難しくなり、年若い看護師は、押し寄せる多重課題と時間切迫の嵐に対応を迫られる。次の、またその次の業務を頭のなかで段取りしながら働いていると、患者思いの看護ようぼくであっても、白衣のなかに自分自身を入れていくのを忘れるらしい。

心優しい看護師が擦り切れてしまわぬ対策も必要となる。そこで取り入れたのが、「ドアノブ効果」である。これは、電車の車掌が車両を立ち去るとき、ドアノブに手をかける前に、もう一度振り向いて全体を見渡し、用のある人がいないかを確認する方法である。これを看護の場面に応用して、一つの処置が終了し、ドアノブに手をかける前に、ちょっと立ち止まって、「ほかに何か、お困りのことはありませんか?」と声をかける。これで、遠慮がちな患者さんの思いを聞き出すことができ、二度手間もなくなり、満足していただけるのだ。

私が主任看護師だったころのこと、まだ若い難病の男性患者が入院されていた。血管が細くて点滴がなかなか入らないので、もっぱら私が点滴の針を刺す担当になっていた。その方は、肺の機能が侵されていて、いつもすごい努力呼吸をされていた。点滴が無事に入って立ち去る前に、私は尋ねた。

「何かほかに、してほしいことはありませんか?」

 

「主任さん、五分でいいから……息…代わって……」

 

無論、代わることはできない。〝でも、そのくらい苦しいのだ……〟。

思わず立ちすくむ私に、その方は、

「冗談やで。時々様子を見に来てくれるだけで嬉しい。夜中に目が覚めて、息苦しくて、このまま息が止まってしまうんじゃないかと怖くなる。でも、夜勤の看護師さんは忙しいのが分かっているから『不安だからそばにいて』とは言えない。だから、わざとティッシュの箱などを落として用事を作ってから、ナースコールを押して来てもらっているんだ……」

と切れ切れの息で話された。

患者さんの本当の気持ちを知り、すぐに、病棟でカンファレンスを持った。若い看護師たちは、その方から夜間のナースコールが多いことに疑問を感じていた。それなのに、ベッドサイドへ行っても、落ちているものを床から拾い上げるといった用事が済むと、さっさと戻ってきてしまっていたのを反省した。

それからは全員が、夜間巡視のときも、そっとしばらくそばにいて、息づかいを見守るようにした。患者さんは薄目を開けて様子を見ておられたようで、夜間のナースコールが減った。そして、「みんなが僕を見守ってくれているから、頑張るわ!」と明るい表情になり、最後まで希望を持って病苦と闘われたのだった。

(終)


 

ふさわしい場所

 

奈良県在住・臨床心理士  宇田 まゆみ

 

子どもの頃、社会の授業で世界地図を見て、日本の他にもたくさんの国があるということを初めて知った時、とても不思議な感覚を持ちました。皆さんは、どうだったか覚えておられますか?

広い世界の中で、日本語を話す国は日本だけであること、隣国と地続きの国が多い中で日本は島国であること、春夏秋冬の四季があることなど、当たり前だと思っていたことが、実は特徴的な要素であることを徐々に知るようになります。すると、自分が日本に生まれてきたことが、偶然のようで偶然ではないように思えてきたのです。

スタイルが良くてカッコいい外国人や、その国の文化が素敵に見えて、海外への憧れを抱いたこともありましたが、現実的には、この日本で日本人として生きているという動かし難い事実を受け入れるしかありません。これはどこの国に生まれてくるにしても、誰にでも当てはまることではないでしょうか。

どうして私は日本に生まれてきたのだろうか、と考えた時に、絶対的な答えを誰かが与えてくれるわけではありません。どうして私はこの地域に生まれてきたのか、もっと言えば、どうして私はこの家で、この両親のもとに生まれてきたのか。それは宿命としかいいようのないことに思えます。

カウンセリングの現場にいると、自分の家庭環境が原因で、悩みを抱えて相談に来られる方がたくさんおられます。

子どもの相談は、親やきょうだいなど、家庭環境の影響を切り離して考えることができません。大人になっても、自分が子どもの頃に親との関係の中で経験したことが、人間関係を作るときのベースになると言われています。

すなわち、色々な場面で人と関わる時に、自分が相手にどんな風に反応して、どういう関係性を作る傾向があるのか、ということに自分では気がつかないうちに影響を与えられているのが、親や家族という存在なのです。

そのように考えると、ますます、なぜ自分はこの親の元に生まれ、この環境の中で生きているのかという問いが浮かんできます。

人は、親や生まれ落ちる場所を選べない、とよく言われます。ところが、子どもの胎内記憶の研究で有名な産婦人科医の先生によると、「生まれる前に自分でお母さんを選んできた」と話す子どもが大勢いるというのです。

もしそうだとしたら、それは自分の人生を生きるためなのではないでしょうか。この世に生を受けて、この人生をどんな風に生きるのか。何か使命のような、役割のようなものを誰もが持って生まれてきている。

そして、自分がこの人生で成そうとしていること、それを成し遂げるのに一番ふさわしい場所を、私たちは選んで生まれてきたと言えるかも知れません。たとえ望んでいるとは思えない環境に置かれたとしても、それを体験することが自分の使命を全うするために必要なことであったり、その体験から気づきを得たりするという意味があるのではないかと思うのです。

人間の生きる目的について、それは「陽気ぐらし」にあると天理教では教えられます。陽気とは、あたたかく、晴れ晴れとして、にぎやかで明るい様を表します。そうであれば、陽気ぐらしを望まない人はいないのではないでしょうか。

家庭、地域、職場や学校など、自分の置かれた場所で、恋愛、結婚、子育てや介護などを通じて、さまざまな人々と喜怒哀楽を体験しているのが私たちの毎日です。その暮らしの中で、自分は何を大事にして生きるのか、どんな風に生きれば自分の人生を全うし、陽気に暮らすことができるのか。その形や姿は、一人ひとり異なるのではないかと思います。

人生どんな時も、とにかく楽しむことが一番という人もいれば、お金を稼ぐことが一番という人もいたり、人のためになることをしたいと思う人もいれば、自分が人から慕われる存在になりたいと思う人もいる。頭脳を活かすことにプライドを持つ人もいれば、地味だけれど職人のようにコツコツと人の真似できない仕事をやり遂げようとする人もいる。

この人生において、自分の使命とは何なのか、それをどうすれば全うできるのか、様々な形で気づかせてくれたり、後押しをしてくれるのが、親であり、生まれ育つ家であり、自分を取り巻く環境であると思うのです。

身の回りの環境全てが、神様から与えられた「ギフト」なのだと捉えれば、起こること全てを自分の栄養として取り入れ、どんな状況でも陽気に暮らすことができるのではないでしょうか。そのように捉える視点を大事にして、毎日の「ギフト」を味わいたいものです。

(終)

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