(天理教の時間)
次回の
更新予定

第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1198回

「この世は〝理〟で責める世界である」。理とは神様のご守護の筋道であり、そこには大いなる親心が込められている。

 

理論や理屈という言葉に使われる「理」とは、物事の筋道を指す言葉です。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、

  このよふハりいでせめたるせかいなり
  なにかよろづを歌のりでせめ(一 21)

とあります。

この世は理で責める世界である。この理で責めるとは、隙のないように理で詰めていくこと、すなわち理詰めという意味で、つまり、この世界は隅々までが神様の理によって治められているということを表しています。この辺は理が治まっているけれど、あの辺りはちょっと理の及ばないところで、というようなことは決してありません。

神様は理に基いて、この世界の隅々にまでご守護をくださっている。その理とは、神様が、私たち人間をお創りくだされた元初りの思召しに基づいた筋道。すなわち、私たちお互いが澄み切った心でたすけ合う、陽気ぐらしを見て神も共に楽しみたいと思われた、その陽気ぐらしを実現するために定められた筋道です。

しかし、私たちは我さえ良くばの我が身思案や、世間の風潮に流されて、知らず知らずの間に心得違いをしがちです。私たちの心は、いとも簡単に理の筋道から離れてしまうのです。

そんな私たちに、教祖は、こうお諭しくださいました。

「世界の人が皆、真っ直ぐやと思うている事でも、天の定規にあてたら、皆、狂いがありますのやで」(教祖伝逸話篇31「天の定規」)

自分では真っ直ぐに歩んでいるつもりでも、あるいは他の誰かがそれで良いと言っても、何より優先されるのは、天の定規、すなわち理の筋道です。いかなる時も神様の教えを定規として、日々を通ることが何より大切なのです。

理とは、本来温かいものです。厳しくもあり、温かい。なぜなら、そこに、人間に陽気ぐらしをさせてやりたいという神様の親心が込められているからです。私たちは理に沿い、神様の思いにこの身をゆだねることによって、充分なご守護をいただいて、何不自由なく暮らすことができるのです。

天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に

おすすめのおはなし