第1125回2021年5月8日・9日放送
還暦を迎えて
昔は親や学校の先生になぜ叱られたのか、納得できないこともあった。しかし還暦を迎え、当時を振り返ってみれば…。
還暦を迎えて
北海道在住 高橋 太志
北海道では春先、道路の脇に残っている雪が溶けて水たまりができるので、歩行者に水が跳ねないようにスピードを落とし、慎重に運転をします。この時期、通学路では、黒や赤に限らず、にぎやかな色の新しいランドセルを背負った小学一年生や、真新しい制服を着た中学生の姿が見られ、春を感じることができます。
私はこの四月に満60歳、還暦という人生の節目を迎えました。高橋家は代々男が生まれず、婿養子を迎えることの多い家系でした。男が生まれても戦争で若くして亡くなってしまったので、それを思うと、還暦を迎えたことは、両親をはじめ、家族や支えてくれる方々、ご縁のある方々に対して感謝の言葉しか浮かびません。
振り返ってみると、いつも皆さんのお世話になっていたなと思います。色々な思い出がありますが、当時に戻ってもう一度同じ喜びを味わいたいと思うこともあれば、もう一度やり直したいと思うこともあります。もう忘れたい、辛く悲しい過去もあります。
また、当時は嫌な出来事でしたが、あのおかげで今があると後に思えた出来事もありました。
昭和50年、私が中学生の時、千歳市で台風の影響により川が氾濫したことがありました。私の住む家は高台にあり無事でしたが、近所の低地にある畑や住宅は水びたしの状態でした。
翌朝は台風が過ぎ、晴天でした。父に「学校から休みだという連絡もないので、行きなさい」と言われ、私はいつものように自転車で学校に向かいました。通学路は氾濫した川の水であふれ、作業員が懸命に復旧の作業をしていました。
途中、完全に水に浸かった道路は車両通行止めとなっていましたが、学校に向かうと言うと、「気をつけて行きなさい」と通してくれました。私は靴と靴下を脱ぎ、学生ズボンをももまでたくし上げ、裸足でペダルをこぎ、いつもより随分と時間をかけ、ようやく学校に到着しました。
しかし、苦労してやっと学校に着いたのに、担任の先生からは「どうしてこんな時に学校に来たんだ、すぐ自宅に戻りなさい!」と叱られてしまいました。
私は、こんな時によく来たねと、労い、褒めてくれる言葉を待っていましたが、仕方なく再び同じ道を裸足でペダルをこいで、自宅に戻りました。
当時は「大人はなんて勝手なんだろう、もう少し優しい言葉を使ったらいいのに」と思っていました。しかし、いま60歳になって振り返ると、担任の先生も災害に直面してパニックになっていたのだろうと思うのです。
父も「行きなさい」とは言ったものの、当時は車もなく、迎えに行くこともできないので、私が家に戻るまでは心配だったことでしょう。担任の先生も、まさかこんな状況の日に生徒が学校に来るとは予想していなかったのだろうと思うと、ついつい厳しい言葉を使ったのもわかるような気がします。私自身も、「自分だけは大丈夫だ」と安全を過信していたかもしれません。
その時は相手の思いが理解できなかった出来事も、時間が経つことによって「ものの見方」が変わり、違う感情が生まれることがあるかもしれません。当時の思い出のリニューアルです。
私たちはこのように、色々な出来事が重なり合って歳を重ねていくのですが、どのような思い出も、幸福へ向かう一つの道だと考えれば、許すという感情も生まれてくるのではないでしょうか。そして、人に対する優しさこそいちばん大切なものであり、どんな出来事にあっても忘れてはいけないものだと知ることになるのです。
天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、
せかいぢういちれつわみなきよたいや
たにんとゆうわさらにないぞや
とお教えくださっています。
また、
「子供の方から力を入れて来たら、親も力を入れてやらにゃならん。これが天理や。分かりましたか」(教祖伝逸話篇 75「これが天理や」)
とも仰せられました。
子供である人間が、一生懸命人に優しく接したい、人にたすかってもらいたいと願い、実行すれば、親である神様も大いにお働きくださり、ご守護をくださるのだと思います。
ピカピカの還暦一年生は、じたばたせず、成長と老いを楽しみ、人生を振り返った時にすべてが素敵な思い出になるよう、一生懸命、人に優しく接したいと思います。
還暦は赤のイメージがあります。今年のキャンプでは、赤いバンダナを持ち歩こうと思っています。
家族のハーモニー「感謝と祈りに包まれて」
「人間いきいき通信」2020年11月号より
白熊 繁一
今年初めから世界中に新型コロナウイルスの感染症が広がり、日本でも緊急事態宣言が出され、自粛生活が長く続いた。
そんな春先のある日、私どもの教会の神様をお祀りしている場所に、一枚の紙が置かれていた。
手に取ると、
「おやさま、ころなにかかったひとをなおしてくれてありがとう。いつかころなをへらしてください。おねがいします。こうたろうより」
と、鉛筆の文字で大きく書かれていた。小学一年生の孫・晃太朗から、教祖・中山みき様「おやさま」への手紙だった。
大人は日ごとに増加する感染者数を憂い、深刻なニュースに固唾をのむ思いでいた。たまたまテレビで流れた、感染症が治癒した人の言葉を聞いて、その人に代わって神様にお礼を言い、そしてコロナウイルスを減らしてくださいとの切なる願いを込めた手紙に、健気さを感じた。
晃太朗は、入学式の翌日から休校が続き、母親である娘に文字や算数を教わっていた。手紙は、その用紙の裏紙を使ったもので、覚えたてのひらがなを書くことがうれしかったのだろう、元気のいい文字だった。
新型コロナウイルス感染症は、人々の生活様式をがらりと変えた。マスクの着用や手洗いの励行、手指の消毒に意識が注がれ、人が集まること、接すること、密閉空間になることを避けるよう呼びかけられた。もとより教会には、人が集まり、人と接する場面が数多くある。言い知れぬ切なさを感じながらも、行政の方針に沿い、教会に参ってくださる方には自粛してもらうことにした。
私は日ごろ、外出から帰ると、出迎えてくれる幼い里子や孫を「ただいま、むぎゅー」と言って抱きしめていたが、それもできず、愛おしさゆえの〝むぎゅー〟を我慢する日を送った。
外出も人との会話もしにくくなったが、電話やメール、手紙を使って、人とつながり合うことを、妻や娘夫婦と申し合わせた。また、感染症の終息と、世界中の人々や教会につながる方たちの無事を神様にお祈りしようと皆で約束し、いまもその祈りの時間を大切にしている。
神様に毎日お願いする家族の姿を、晃太朗も心に刻んでいたのであろう。手紙をお供えした後で長い間、一人で拝をしていたと、娘から報告を受けた。
教会家族の配慮により、信者さんたちから近況を知らせるメールや手紙が毎日届くようになった。
「教会には行けないけれど、電話で日参します」
「感染リスクの高い介護の現場ですが、働けることがありがたいです」
「昨日は子供たちとお菓子作りをして楽しみました」
「わが家では男性陣が昼食作りを担当しています」
困難な状況のなか、心を込めて働く人、工夫しながら家族と心を通わせている人たちの様子がうれしく、ほのぼのとした情景が心に浮かんだ。
私は早朝に教会周辺の掃除をしている。いまは自粛生活のさなかだが、その範囲を少し広げることにした。毎日続けていると、近所の家の窓から「白熊さん、ご苦労さまです」と、老婦人から声がかかり、「町をきれいにしてくれてありがとう」と、ウォーキングをする男性が声をかけてくれた。みんなマスク姿だが、その下にある笑顔は想像できる。
ウイルスは極微で、どこにあるか分からないがゆえに、ややもすれば恐怖感が伴う。一方で、人は神様への祈りなどの目に見えない世界を信じることもできる。
「〇〇ばあちゃん、げんきですか? ぼくはげんきです。ころながなくなったらあおうね。げんきでね」
高齢の信者宅に向かう私に、晃太朗が手紙を託した。今日も祈りと温かい心に包まれる、家族との日常がうれしい。
(終)