(天理教の時間)
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第1279回2024年4月26日配信

欲しい愛情のかたち

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1148回

いつでも、どなたでも

小学生の里子を喜んで受け入れる家族の姿に、かつての里親としての両親の姿を思い返した。

いつでも、どなたでも

滋賀県在住  池戸 剛

 

先日、市役所の子ども家庭相談室から電話が掛かってきました。

「急なことですが、小学一年生の女の子を明日から一か月ほど、週末だけ預かって頂けないでしょうか。大変困っておられまして」。

これは、市の子育て短期支援事業の「ショートステイ」と言われるもので、保護者の病気や出産、仕事などの理由から、家庭で子どもの養育が困難になった場合、一時的に児童養護施設に預けたり、里親に委託するという事業です。

私が「受けさせていただくよ」と言うと、隣にいた妻は「オッケー」と二つ返事。担当の方に「では、お受けします。詳しいことは先方のお母さんに直接聞かせていただきます」とお伝えしました。

教会の夕づとめの後、家族みんなに「明日から、小学一年生の女の子に来てもらおうと思うけど、いいかな?」と伝えると、「はーい、やったー!」と賛成してくれました。

妻がすかさず「それじゃあ、女子チームで作戦を考えよう!」と、中高生の里子たちと相談を始めました。お母さんと離れて寝泊まりするのは初めてで不安だろうからと、女子みんなで一緒に寝ることにし、またどんな遊びをしたら喜ぶだろうかを話し合い、みんなの役割分担を決めていきました。

私はそんなやり取りに微笑みながら、子どもの頃に教会で様々な方をお預かりしていたことを思い出しました。

両親は、たとえ一人でも教会に住み込みさんをお与えいただき、会長家族も一緒になって、その方のたすかりを願う教会にしたい。そうして、たすけ合いの輪を広めながら、神様の思いに近づきたいという強い信仰信念を持っていました。

私たち子どもには、「たとえ血のつながりのない人でも、神様が結んでくださるご縁によって共に教会生活を送る中で、教えをもとに心を寄せあえば、家族になれるんだ」と話をしてくれました。

新しい人をお預かりする時には、夕づとめの後にみんなを集め、「今度はこういう方を教会でお世話させていただきたいんだけど、どう思う?」と、必ず私たちの思いにも耳を傾けてくれました。そうして次々に、心の病を持つ方が教会に住まわれたのです。

私が小学五年生の時に住み込んでいた精神疾患の男性は、次第に調子を崩し、教会での言動が激しくなりました。心配になった父は、母と住み込みのおばさんと私たち五人のきょうだいを、教会から車で15分ほどの四畳半二間の古いアパートへ住まわせることにしたのです。

教会は父と男性の二人きりになりました。父は教会での朝づとめを終えると、アパートへ来て私たちと一緒に再び朝づとめをつとめ、それから車で小学校の近くまで送ってくれました。いつもと違う方向から登校するのを友達に見つからないように、一目散に学校へと向かいました。

父は運転席から、ランドセルを揺らしながら走って登校する私たちの後ろ姿に手を合わせ、「一人の人を神様にたすけて頂くには、みんなにも苦労をかけるけど、必ず神様が見てくださっているからね」と心の中でつぶやき、涙をこらえて見送っていたのでした。

私たちは三カ月ほどでアパートから教会へ戻ったのですが、その後男性は入院することになり、教会を出ました。もう30年も前のことですが、どんな中も喜んで通っていた両親を見ながら、少し不自由な生活も、不思議と子どもなりに楽しんでいたことを覚えています。

このように、たすけを求めて教会へ来られる様々な方を家族として迎え入れ、丸抱えの愛情でお世話取りしてきた両親の姿が、現在の私の信仰信念のもととなっています。

さてさて、我が家に小学一年生の女の子が来てくれました。みんなでご飯を一緒に食べたり、女の子同士でお風呂に入ったり、ゲームをしたり。夜はみんなで布団を並べ、泣くこともなく思いのほか楽しんでくれているように見えました。

二週間お預かりしたところで、お母さんの勤務時間の変更が叶い、ショートステイは終了となりました。

お母さんは、「池戸さん、先週、今週と急な預かり、本当にありがとうございました。とてもたすかりましたし、子どももお泊まりが楽しかったようです。うちに帰ってから『来週は行かないんだよ』と言うと、さみしく思ったようで泣いてしまいました。本当に本当にありがとうございました」と言ってくださいました。

お母さんや子どもさんが喜んでくださったのも、子どもたちが一生懸命お世話してくれたおかげだなと、夫婦で喜ばせていただきました。夕づとめの後、みんなのおかげでとても楽しいお泊まりになって喜んでくれたこと、みんなに会えなくなるのが寂しくて泣いてしまったことを伝え、私も子どもたちにお礼を言いました。

教会は陽気ぐらしを体現する、たすけの道場。
「いつでも、どなたでも」との気持ちで、笑顔でお迎えしたいと思います。

 


 

笑うて泣いて、また笑て  妹尾和夫のしゃべくりエッセー

 

関西を中心に、ラジオパーソナリティー・演出家・俳優として活躍する妹尾和夫さん。天理時報に八年間にわたり連載されたエッセーが、一冊の本になりました。天理中学・天理高校で学んだ青春時代の思い出や、撮影現場や番組でのエピソードなどを縦横に語った、「笑うて泣いて、また笑て 妹尾和夫のしゃべくりエッセー」。今日はその中から、2013年4月掲載の初回エッセーをご紹介します。

皆さん初めまして、妹尾和夫と申します。関西を拠点にラジオやテレビ、舞台に出ておりますが、ご存じない方もおられるでしょうから、簡単に自己紹介を―。

僕は大阪生まれで、一人息子の甘えん坊。中学、高校と6年間を奈良県の天理市で過ごし、教師になる志を抱いて東京の大学に入ったものの、役者となって大阪へ戻ってきました。いまは劇団の座長として演出を担当したり、役者として出演したりしていますが、どちらかと言えば、〝しゃべりの仕事〟を中心にさせていただいています。

10年前には、大阪・ABCラジオで『全力投球!妹尾和夫です』という、4時間20分にわたる生放送ワイド番組のメーンパーソナリティーを、月曜日から金曜日まで務めていました。6年続いたその番組で、僕にとって忘れられない〝事件〟が起こりましたので、今回はそのことについてお話ししましょう。

あれは番組が始まって翌年の夏、母校の天理高校野球部が甲子園に出場しました。僕が天理高校出身だと知っていた番組プロデューサーから「応援に行きまんのか?」と尋ねられ、「行けるときは行きますよ」と返すと、「校歌、歌えまんのか?」と聞いてきたのです。もちろん「歌えます」と答えました。

で、天理高校が1回戦を勝った翌日の放送。高校野球の試合結果を報告していると、イヤホン越しにプロデューサーが「校歌、ホンマに歌えまんのか?」と聞いてきました。生放送中にもかかわらずです。

「歌えますって」

「歌てみなはれ」

「歌ってええの?」

とやりとりをするうちに、ジャーンと天理高校の校歌のカラオケが流れてきました。仕方ないから僕も腹をくくって、

 ♪見よ空高く輝くひかり 天理のみおやの導くところ……

と声高らかに歌ったのです。

これが世に言う(?)「生放送校歌〝全力熱唱〟事件」です。放送直後、近畿2府4県はもちろん、四国、岡山の同級生や教会長さん、天理教を信仰している大勢の人から、思いも寄らない反響を頂きました。

「ものすごい勇気をもらった」

「涙が止まらなかった」

といったお便りもたくさん頂戴しました。

ラジオの仕事でも、特定の宗教の話題にふれるのはタブーです。校歌を歌った後は「大丈夫やろか」との不安も、正直言ってありました。でも、それ以上に、「お世話になった方々に、ちょっとは恩返しができたかな」という気持ちでしたね。

この一件から、僕は天理で過ごした青春時代のエピソードなど、バンバン話をさせていただくようになりました。高校時代は「信仰は自由だ」と言って、あれやこれやと反発していた人間でしたが、おととしの母校の同窓会で、仲間からこう言われたんです。

「おまえは学校で一番反発していたけれど、一番天理の名前を広めてくれた」

(終)

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