(ラジオ天理教の時間)
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第1132回2021年6月26日・27日放送

吉福家に春がきた

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吉福 多恵子

文:吉福 多恵子

第1128回

神様にもたれる

子供の健全な発達には、親の心の安定が欠かせない。心配や不安が生じた時、それをいかに上手く抱えていくか。

神様にもたれる

奈良県在住  金山 元春

 

私は大学で心理学を教えながら、子育ての相談に応じてきました。また、小学生になる子供を育てる父親でもあります。私がそうした体験を通じて学んできたことについて、お伝えしたいと思います。

世の中には子育てに関する情報があふれています。育児書やインターネットの子育て関連のページを見ていると、「子供の良いところを見つけて褒めましょう」「子供の興味や関心を尊重しましょう」など、「なるほど」と思う言葉が並んでいます。また、「子供の人格を否定するような叱り方はしない」「他の子と比べない」などのNG集が紹介されていることもあります。その内容は心理学者である私から見ても妥当なことが多く、こうした情報が子供の健全な発達に役立つのなら、とても良いことだと思います。

その一方で、これだけ情報があふれていると、育児書に書かれた「正しい子育て」ができていないことで不安が募り、問題を解決しようと焦る気持ちが出てしまうことがあるかもしれません。けれども、そんな時ほど一息ついて、気持ちを落ち着かせることをお勧めします。なぜなら、一つの問題にとらわれると、かえってそれが大きくなることがあるからです。

例えば、私たちは日常生活で様々な心配事を抱えたり、苛立ちを覚えたりすることがありますが、それを何とかしようともがけばもがくほど、かえって不安や怒りが増してくることがあります。そもそも、心配、不安、恐怖、悲しみ、焦り、怒りなどを感じない人生なんてあり得るでしょうか? こうした感情はあって当然なのです。だからこそ、私たちはそうした不快な感情に振り回されないように、それらの上手な抱え方を学ぶ必要があります。

この点に関する理解を深めるためには、その起源である乳幼児期の心の発達について知る必要があります。例えば、小さな子供が転んで泣いている時には、傍らに寄り添いながら「痛かったね~。お~よしよし。大丈夫だよ~」などと優しい言葉をかけてあげますね。日常の何気ないやり取りですが、これは心の発達においてとても大切なことです。

「痛い!怖い!」といった不快な感情が生じた時に、それを「痛くない!怖がるな!」と否定されるのではなく、「痛かったね~」と優しく抱えてもらうことで、「私は守られている。大丈夫だ」という安心・安全の感覚が生まれます。そうした体験を重ねることで、やがて私たちは自分の中の不快な感情に振り回されず、それを上手に抱えることができるようになるのです。

これは大人でも基本的には同じです。人が「自分は守られている」「これからも大丈夫だ」「きっとうまくいく」と安心感を抱きながら人生を歩むためには、「大丈夫だよ」と優しく抱えてもらう体験が必要です。

ですから、焦る気持ちや心配事が生じてきた時には、まず自分自身に「大丈夫だよ、落ち着いて」と優しく声を掛けてあげてください。気持ちが落ち着く言葉は人によって違うでしょうから、自分の心が安らぐ「おまじない」の言葉を決めておくのも良いでしょう。心が落ち着く場所や、安心感が得られる人の顔を思い浮かべるのもお勧めです。そして、可能な状況ならば、「この人と一緒にいると安心するな」と思える人に話を聴いてもらい、不安な気持ちを優しく抱えてもらえば良いでしょう。

そうして親自身が安定してくると、子供を優しく抱えてあげることができるようになります。そうした親子の関係が、子供の発達にとってとても大切であることはすでにお伝えした通りです。親に優しく抱えられて育った子供は、自分がやがて親となった時に、またその子供を優しく抱えてあげることができるようになります。

しかし、そうして育った子供であっても、長い人生、自分だけでは抱えきれない問題に出合うこともあるでしょう。周りに優しく抱えてくれる人がいない、という場合もあるかもしれません。そんな時は、天理教の教会へ参拝することをお勧めします。

天理教では、神様と人間の関係は親子であると教えられます。親なる神という意味から、天理教信仰者は親しみを込めて「親神様」とお呼びしています。親神様は、人間が仲良くたすけ合いながら幸せに暮らす「陽気ぐらし」世界を望んで、人間とこの世界を創られました。私たちは、親神様に日々お守りいただきながら暮らしているのです。

お言葉に、

 ふじゆうなきやうにしてやらう 
 かみのこゝろにもたれつけ (「みかぐらうた」 九下り目 2)

とあります。
親神様は子供である私たちを、いつでも優しく抱えてくださっています。教会へ参拝し、親神様に思いを打ち明け、身も心ももたれ切ることで、心の中に安心感が広がっていくことを実感できるでしょう。そこから心の向きが変わり始め、やがて喜びや感謝の気持ちが生じてくることと思います。

親子そろって、親神様のぬくもりに身をゆだねていただきたいと思います。

 


 

満足さすがをやの理

 

正月やお盆の前になると、親は可愛い我が子の帰りを心待ちにしていることでしょう。仕事や学業は順調なのか、どんな土産話を聞かせてくれるのか。いや何より、元気な顔を見られればそれで十分、まずはどんなものを食べさせて元気づけようか。そんなことを考える親も多いはずです。もちろん子供からしても、親に元気な顔を見せて安心させ、親孝行の一つでもしたいと思うものです。

神様のお言葉に、
「この所は親里、をやとは深き理、深き理なら心の理を運ばねばならん。(中略)やれ/\という、遙る遙る遠くの所から出て来れば、暑ければ暑かったであろう、寒ければ寒かったであろうなあ、という。麦という、麦に太白を入れて、何でも一寸々々出さねばならん。(中略)出て来たなれば、暑ければ暑かろう寒ければ寒かろうと、満足さすがをやの理」(「おさしづ」M23・6・23)

とあります。

親里ぢばは、神様のお鎮まりくださる人類のふるさと。多くの人が元の親である神様を慕って帰り集います。お言葉の「麦に太白」とは、はったい粉に白砂糖を入れたもので、そうして甘いものでも振る舞って、帰ってくる子供たちをいたわってやってくれと仰せられています。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、たすけを求めて寄り来る人々を、常に温かい親心を持って迎えられました。こんな逸話が残されています。

明治八、九年頃、ある雪の日のこと。河内に住む増井りんさんが、およそ三〇キロの道のりを、信貴山を越え、教祖のお屋敷を目指して歩いていました。途中、猛吹雪の中、欄干のない幅の狭い橋を裸足になって進んだりしながら、必死に神様にお願いしつつ、やっとのことでお屋敷へたどり着きました。

お側の者が言うには、「ああ、今、教祖が、窓から外をお眺めになって、『まあまあ、こんな日にも人が来る。なんと誠の人やなあ。ああ、難儀やろうな』と、仰せられていたところでした」とのこと。

りんさんが早速教祖のもとへご挨拶に上がると、教祖は、

「ようこそ帰って来たなあ。親神が手を引いて連れて帰ったのやで。あちらにてもこちらにても滑って、難儀やったなあ。その中にて喜んでいたなあ。さあ/\親神が十分々々受け取るで。どんな事も皆受け取る。守護するで。楽しめ、楽しめ、楽しめ」

と仰せられ、りんさんの冷え切った手を、両方のお手でしっかりと握られました。

その瞬間、ちょうど火鉢の上に手をあてたような、何とも言えない温かみを感じたりんさんは、勿体ないやら有り難いやらで、胸が一杯になったのでした。(教祖伝逸話篇 44 「雪の日」)

りんさんが感じた、火鉢の上に手をあてたような温かさこそ、本物の親心と言えるのではないでしょうか。

(終)

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