(天理教の時間)
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第1278回2024年4月19日配信

東京スカイツリーから、こんにちは ~母と子の絆は永遠です~

吉永先生
吉永 道子

文:吉永 道子

第1126回

日々の暮らしの中で

教えに基づいた日々の暮らしのキーワード「感謝、慎み、たすけあい」。これこそ神様の思いにお応えする道である。

日々の暮らしの中で

三重県在住  中森 昌昭

 

明治32年は、世界各地で流行していたペストの感染者が、ついに日本でも出た年でした。ペストは致死率も高く、14世紀にはヨーロッパの人口の三分の一が命を落としたと言われており、大変恐れられていた感染症の一つでした。

日本では、この年11月、神戸の13歳の少年がペストの症状で死亡し、当時の新聞は「ペスト、神戸に侵入」との見出しで大きく報じました。これをきっかけに、時の政府は感染予防のために伝染の恐れのある物品の輸入を禁止したり、ネズミが媒介となって感染拡大することから、東京ではネズミを一匹五銭で買い取る施策が講じられたりと、厳重な警戒態勢を敷きました。

また、天理教の教会本部にも、10月の秋季大祭を延期するよう要請があったとのことです。とにかく明治32年からの数年は、日本中がペスト対策に追われる事態となりました。

この年、天理教では一派独立への動きが始まりました。それまでは、神道直轄の教会として認可を得て活動を進めていたのですが、神道本局からの勧めもあり、独立のための請願書を提出することになったのです。

その請願書には、教理をまとめたものを添付することが求められました。提出書類が出来上がり、神様の思召しを伺いました。すると、教えを上手に諭すだけでは、「襖に描いた絵のようなもの」(「おさしづ」M327・23)で、大切なのは、教えをしっかり心に治めて実行することである。単に、上手に書いてあるだけでは意味がない、と実践の大切さをお諭しくださいました。そして、そのように通ったならば、「神はどんな事も引き受ける。どんな難も逃れさす」(「おさしづ」M327・23)と請け負ってくださっています。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、この世界が陽気ぐらしに立て替わっていくために、私たち人間がどのように通れば良いかを教え諭されるとともに、実際に様々な困難の道中を自ら身をもってお通りになり、その手本をお示しくださいました。その教えの角目を整理し、陽気ぐらしのキーワードとして、私たちが日々の暮らしで念頭に置いているのが、「感謝、慎み、たすけあい」の三つです。その一つひとつを考えてみたいと思います。

「感謝」とは、まず人への感謝です。私たちは大勢の人に支えられ、今日の日を迎えています。今日までお世話になった人の顔を思い浮かべてみてください。それぞれ、色々な人の顔が浮かぶでしょう。

まず、いちばん身近な家族の顔。父親、母親、夫あるいは妻、祖父母、きょうだい、子ども、孫。そして、学校でお世話になった恩師や友達の顔。職場の上司、同僚。また、近所の人たちの顔、などなど。大勢の人のおかげで今日があることが分かります。

また、私たちは普段たくさんの物を使い生活し、様々なものを食べて元気を頂いています。こうした物への感謝の心も大切です。

さらに私たちは、神様の恵み、すなわち火、水、風のご守護に守られ、生かされています。私たちの身の周り、そしてお互いの身体の中にも、神様の恵みがあふれています。この大いなる恵みに対する感謝の心も忘れてはなりません。感謝とは、人への感謝、物への感謝、そして神様に対する感謝の心です。

次に「慎み」ですが、慎みと聞くと、言いたいことも言わない、買いたいものも買わない、食べたいものも食べないで我慢するといった、何だか窮屈な、息苦しい状態が浮かんでしまいます。しかし、教祖が仰せられた「菜の葉一枚でも、粗末にせぬように」(教祖伝逸話篇 112「一に愛想」)とは、どんなものにも神様のご守護が込められているのだから、大切に生かして使うようにと、むしろ物に対する前向きな気持ちをお諭しくださっているのです。

慎みの態度で日々を通ることは、現代の競争社会に通用しない生き方ではないかと感じられるかもしれません。しかし、物のあふれる今こそ、環境の面からも、また健康を維持する上からも、慎みが肝要ではないでしょうか。教祖は「慎みが世界第一の理」(「おさしづ」M25114)と仰せくだされています。

そして、「たすけあい」とは、人に喜んでもらおう、たすかってもらおうと心を尽くし、身に行うことです。それこそが、神様へのいちばんのご恩報じとなるのです。

教祖のおたすけには、「自分のためになるから」とか、「自分がたすけてもらいたいから」といった姿勢は微塵もありませんでした。むしろ教祖は、困っている人を目の前にして、「あなたは前生か前々生、何代か前にお世話になった方だから、こうして会わせて頂いた。今、恩返しする機会を神様がお与えくださったことに感謝し、精一杯尽くさせていただこう」とのお気持ちでたすけられたのであり、そのような逸話が多く残されています。決して、たすけてやろうといったご態度ではありませんでした。

私たちも、目の前に悩み苦しむ人がいたら、その人は前生、あるいは何代か前の恩人なのだから、今世は私が恩返しをさせてもらおう。こうした態度で、日々「たすけあい」を心掛けたいものです。

明治32年のペストの流行から、すでに120年が経過し、いま再び、世界中にパンデミックの姿を見せられています。そこには、これをきっかけに私たちを陽気ぐらしの姿に導いてやりたいとの、親なる神様の切なる思いが込められているのではないでしょうか。

私たち一人ひとりが、日々の暮らしの中で「感謝、慎み、たすけあい」の実行を心掛けて歩むことが、神様の思いにお応えする道だと思います。

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