(天理教の時間)
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第1311回2024年12月6日配信

彼女に足らなかったもの

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1121回

姑(はは)との別れ

生涯、人だすけに身を捧げ、80歳で息を引き取った姑。最期まで周りの人たちへの感謝を忘れなかった。

姑(はは)との別れ

京都府在住  辻 治美

 

義理の母は昨年六月、大好きな自宅で、大好きな家族に見守られながら80歳で息を引き取った。姑は三重県から京都の教会に嫁ぎ、会長である舅(ちち)と二人で多くの人をたすけ、導いてきた。

私が嫁いできた20数年前は、アルコール依存症で家族から見放されたお年寄りを預かり、立ち直るためのお世話をしていた。そのうちの一人は飲み過ぎて道路で倒れ、救急車で病院へ運ばれることも度々で、その都度、舅と姑は病院へ迎えに行った。「こう何度も救急車を呼ばれては困ります」とお叱りを受けながら、頭を下げてお詫びをし、また連れて帰るのだ。

よくなりかけても、すぐまたお酒に手を出し、周りに迷惑を掛けてしまう。そんな姿に心が折れそうになりながらも、夫婦で神様にもたれ、ただ精一杯、人様のたすかりのために身を捧げた。

そんな姑が、四年ほど前から「足が重たい」と言い出し、歩くのが困難になってきた。一年ほど経ち、ようやくALS・筋萎縮性側索硬化症という難病であることが分かった。徐々に全身の筋肉が動かなくなる病気で、進行すれば話すことも食べることもできなくなると、姑と一緒に説明を受けた。私は辛くて心が痛くなった。もちろん、姑はもっと辛かったに違いない。私は先の見えない不安に飲まれそうになるのを必死に抑え、家族みんなで姑を支えていこうと話し合い、覚悟を決めた。

自宅には姑の支援のためにケアマネージャー、医師の先生と看護師、身体機能を回復させるための指導員の方が来てくださるようになり、デイサービスへも通うようになった。手押し車で歩行する姑のために、主人が家のあらゆる場所に手すりをつけてくれた。

さらに主人は、神殿のある二階へ楽に上がれるように、自転車のチューブを使ってオリジナルの介護グッズも作った。装着すると、それほど力を入れずに足が持ち上がるので、姑はとても喜んでいた。それを見たケアマネージャーさんやリハビリの指導員さんは、そのアイデアに驚き、「写真撮ってもいいですか?」「これ息子さんの手作りなの?すごい!」と褒めてくださった。姑は主人の手作りのグッズを自慢しながら、いつもニコニコと過ごしていた。

しばらくすると階段を上がることができなくなり、家の中でも車椅子を使うようになっていった。神殿に行き、神様の前でおつとめができなくなるのは、姑にとって心の拠り所を失ってしまうほどの悲しみだったと思う。

主人はそんな姑のために、二階の神殿にビデオカメラを設置し、一階のテレビに神殿が映るように配線をつないだ。神殿がテレビ画面に映った時の姑の喜ぶ顔は、今でも目に焼き付いている。朝夕のおつとめの時間、テレビから流れるおつとめの音に合わせてちゃんぽんを鳴らす姑の姿は、喜びにあふれていた。

時々、おしゃべりが好きな姑のために、お友達を招いて食事会を開いた。昔話に花が咲き、楽しそうにしている姿を見ると、私たち夫婦も幸せな気分になった。

しかし、医師の言う通り、徐々に声が出なくなっていった。のどの筋肉も弱ってむせることが多くなり、食事は食べやすいものだけを口から取り、足りない分の栄養は、胃につないだチューブから入れるようになった。

昨年四月、訪問医から姑との別れが近いことを告げられた。酸素チューブや呼吸器も必要になり、手も不自由になってきた。その頃、新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が発令され、遠方の大学に通っている長男と、天理高校で寮生活を送っている次男が自宅に帰ってきた。大好きな四人の孫が全員わが家に揃い、姑は心の底から嬉しそうだった。

孫たちは毎日交代で姑のベッドの側に付き添い、食事の世話やポータブルトイレへの移動を手伝ってくれた。重度の障害があり寝たきりの小学四年生の孫は、姑と車椅子を並べるとニッコリ微笑んだ。姑にとってその子は癒やしの存在だった。姑はその子の手をさすり、声にはならないが名前を呼び掛けていた。

非常事態下のステイホームではあったが、姑を囲んで賑やかな毎日を送ることができた。まるで姑への恩返しの時間を、神様がプレゼントしてくださったような日々だった。

六月、昼食で大好きなマグロのたたきを食べている時、急に容態が急変し、酸素の数値が下がり始めた。その日はちょうど、姑のきょうだい達が全員揃ってお見舞いに駆けつけ、顔を合わせることができた日だった。

訪問医から言われ、急いで会わせたい人に連絡をとった。姑は一人ひとり駆けつける度に手を合わせ、「ありがとう」と唇を動かし、文字盤を目で追って「み・ん・な・あ・り・が・と・う」と伝えてくれた。

家族の者たちも、「お母さんありがとう」「おばあちゃんありがとうな」「みんないるから大丈夫やで」と、姑の手や足をさすりながらありったけの感謝の気持ちを伝えた。

そうしてみんなが見守る中、姑は穏やかに息を引き取った。訪問医は、「今までたくさんの方の看取りをしてきましたが、家族や友人の方が大勢見守る中でお亡くなりになった経験は初めてです。感動的でした」と言ってくださった。

後日、姑の支援に来てくださった方が、お別れの席で、「辻さんは、ご自分が辛い中でも、いつも周りの人たちへの感謝を忘れませんでした。私たちは少しの時間しか辻さんと過ごしていませんが、人生の中で多くの人に尽くして来られたんでしょうね。だからこんなにもみんなに愛されて、奇跡のような旅立ちをされたんだと思います」と、涙ぐみながら言ってくださった。

また別の方は、「家族の一人ひとりが役割を持ち、お互いを思いやり、支え合いながら笑顔で暮らす。そんな素敵な空間でケアをさせていただき、ありがとうございました」と、手紙で気持ちを伝えてくださった。

私は涙があふれて止まらなかった。姑は動くことも声を出すことができなくなっても、多くの人の心に大事なことを伝え、命を全うしたのだと思うと、深い感動で胸がいっぱいになった。

私は、お別れに来てくださった一般の方々に、「天理教では、死ぬことを『出直し』と言うんです。魂は生き通しで、身体は古い着物を脱ぐように神様にお返しして、また新しい身体をお借りして、縁のある所に生まれ替わってくると聞かせてもらっています。姑はきっと大好きな家族の所に帰ってきてくれて、いつかまた会えるような気がするんですよね」と、教えに基づいてお話をさせていただいた。

するとある方が、「出直しって初めて聞きました。そう考えると、また会える気がしますね…。そうですね! きっと辻さんは、大好きな皆さんの所にすぐ帰ってきはるわ!」と笑顔で言ってくださり、その場の空気が一変、和やかなお別れの場となった。

人の幸せを願い、愛情を尽くしてきた姑の通った道を、私も歩んでいきたいと思う。

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