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第1405回2026年9月25日配信

伝えたい思いがある

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関根 健一

文:関根 健一

第1276回

人生最大のラッキー

借金を残して蒸発した父親と44年ぶりの再会。再婚相手との間にできた娘さんの話になり…。

人生最大のラッキー

助産師  目黒 和加子

 

今から56年前、私が4歳の時、父が経営していた会社が倒産しました。父は倒産の後始末や債権者への対応などを全て母に丸投げし、浮気相手のキャバレーのホステスと蒸発、行方知れずとなったのです。母は気が狂いそうになり、私と弟を道ずれに死のうとしたこともありました。

親戚宅を転々とし、どん底から這い上がり親子三人で暮らし始めた頃、父の居場所が分かりました。私が小学五年生の時です。失踪から7年が経っていました。

母は家庭裁判所に離婚調停を申し立てました。調停が終わり帰宅した母からは、ただならぬ気配がしました。吊り上がった目は真っ赤に充血し、真一文字に結ばれた口からは、ギリギリと歯ぎしりする音が聞こえてきそうです。

「お母さん、どうしたん?」と尋ねると、母は堰を切ったように、「家庭裁判所の廊下の椅子に座ってたら、洗面所のドアが開いて、出てきたのがお父さんやってん。お母さんに向かって『いやあ、久しぶり。元気だった?』ってニコニコしながら言うてん。すみませんも、申し訳ありませんも、なんもないねん。あなたが投げ出した借金を返しながら、私と子供たちがどんな中を生きてきたのか分からないんですかって言うたら、肩をすくめただけでなんも言わんと、廊下の端の椅子に座って、ウトウト居眠りし始めたんよ!」

母の目は一層吊り上がり、下唇を噛み、怒りで身体が震えています。

「調停では、倒産の後始末を投げ出してホステスと逃げたことは認めたけど、現金書留でうちにお金を送っていたと嘘を言い出して…。私たちは親戚宅を転々としてたんやから、住所もわからへんのに送りようがないでしょう。そんなこと一度もありませんでしたって言うたら、『証拠ならここにあります。ほら、こんなに何度もお金を送っていました。借金を返済するのに十分な額で、生活の支えにもなりますよね』って、現金書留の控えを束にして見せたんよ!」

50年以上前、現金書留を郵便局に持っていくとメモのような控えが交付されていたらしく、父は輪ゴムでくくった控えの束を二つ、証拠として提出しました。その控えには送金先も差出人も書く欄がなく、現金の額だけが記されていました。どこかにお金を送っていたようですが、うちに送られてきたことはありません。

父は法科の名門として知られる大学法学部の出身で、法律に詳しく、自分が有利になる方法を熟知しています。田舎の看護学校を卒業し、結核病院で働いていた母が勝てる相手ではありません。父の主張は認められ、母は泣き寝入りをする結果になりました。

「お母さんはお金が返ってこないことに怒ってるんと違う。調停員を騙して、私が嘘を言っていると主張するのは大目に見ても、我が子にまで嘘をついているのが許せないんや! こんな人でなしを父親として生まれてきたお前たちが、可愛そうでならない。あんな人をお前たちの父親にしてしまって申し訳ない」と、泣き崩れてしまいました。

それまで母は、父のことを悪く言ったことがありませんでした。しかし、この時ばかりは我慢ならなかったのでしょう。小学五年生の私に、嗚咽しながら心の底を話しました。

それを聞いた私は、「まさか…お父さんがそんなことを言うやろか。お母さんの言うてることは嘘や」と思いました。私には父に可愛がってもらった記憶があるからです。それからずっと「嘘や」と思い続けてきたのです。父と再会するまでは…。

平成23年、ひょんなことから父の居場所が分かりました。なんと、私の所属する教会と同じ西宮市内に住んでいたのです。メモの住所を頼りに一人で訪ねました。44年ぶりの再会でしたが、名乗るまで私が娘の和加子だと気づきませんでした。

「どうぞお上がりください」と促され、教祖に付き添いをお願いして中に入ると、一緒に逃げた元ホステスのおばあさんがいました。気まずい雰囲気の中、お茶が一杯出されました。

「お顔を見に来ただけです。突然お伺いして申し訳ございません。これにて失礼致します」と椅子から立ち上がろうとすると、そのおばあさんが「和加子さん、うちの娘の由紀ちゃんに似てるわ。やっぱり血のつながりかしらね」と言い出し、アルバムを出してきたのです。

すると父も一緒になって、「これは家族旅行で北海道に行った時です。これはピアノの発表会で…」とニコニコしながら説明を始めました。ありえないと思いました。

浮気相手との間にできた子供をどんなに可愛がって育てたか。捨てた娘に対して、それを平気で話せる父を客観的に観察しました。「恩や人情をわきまえず、恥を知らない。人としてまともな心を持っていない」と結論を出しました。

 父の親バカ話を聞きながら、「五年生の時に母が言ったことはホンマやったんや。ほんまもんの人でなしや。私の父親に間違いないけど、この人に育てられてたら、自己中心的で人の痛みの分からない、とんでもない人間になってたわ。危ないところやった。これまではこの人に捨てられたことが、人生最大の不幸やと思って生きてきた。そうじゃない、そうじゃないんや。この人に捨てられて、この人に育てられんかったことは、人生最大のラッキーやったんや!」そう気づいたのです。

リスナーの皆さん、誤解しないでくださいね。決して父への嫌味、皮肉や当てつけで言っているのではありません。捨てられたことは神様のご守護であったと確信したのです。

この確信によって、心の奥底に40年以上根を張っていた父への恨みが消え去りました。そして、良いこともそうでないこともひっくるめて、この人生で良かったんだと受け入れることができたのです。

先日、父から葉書が届きました。老健施設に入所したようで、弱々しい字で「会いに来て欲しい」とだけ書いてありました。近々、新幹線に乗って主人と一緒に訪ねてみようと思っています。

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