(天理教の時間)
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第1311回2024年12月6日配信

彼女に足らなかったもの

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1263回

喜びを見つけていく

引きこもりの子を抱える両親が、わらにもすがる思いで教会本部の「説教」に参加。そこでの話がヒントになり…。

喜びを見つけてい

大阪府在住  山本 達則

 

私たちお互いは、誰しも日常生活の中で、少なからず不満や不足の種を持っています。家族のこと、仕事のこと、健康のこと、人付き合いのことなど。さらにそれらは毎日のように、その時々の気持ちによって変化していくものです。

以前、ある引きこもりの男の子に出会いました。彼は長期にわたって全く部屋から出てこられなくなり、そのやるせなさを大声を出すことで紛らわせていました。両親をはじめ家族は、その声に怯えながらの生活が続き、心も体も疲弊し切っていました。両親はわらにもすがる思いで、教会に熱心に足を運びご守護を願いましたが、中々明るい兆しを見ることはできませんでした。

そんな中、両親はある日、天理教の教会本部で行われている「説教」に参加し、このようなお話を聞きました。

「今の自分の姿が、不都合な受け入れがたい姿であっても、神様はたすけてやりたいという親心いっぱいでお見せくだされているんです。私たちにできるのは、その中で喜びを見つける努力をすること。それがご守護を頂ける、唯一の心の持ち方なのです」

お話が終わって席を立とうとすると、同じくそばで聞いていたご婦人から声を掛けられました。そのご婦人は、娘さんが若くして大病を患い、闘病の末、35歳という若さで亡くなられたそうです。ご婦人はその現実がどうしても受け入れられず、「なぜ、自分の娘だけがこんなことに」と、ずっと苦しんでいるのだと打ち明けました。

「でも、今日お話を聞かせて頂いて、娘が亡くなったことも、神様の親心なんだと理解できました。これからは『娘を35年間も生かして頂いてありがとうございました』とお礼を言いながら、通らせてもらおうと思います」と、最後には笑顔で帰って行かれたとのことでした。

この日の話を受け、両親は二人で話し合いました。

「これまで、息子のことで喜んだことなんてなかった。なぜうちの息子だけが? 他の子は何事もなく学校に通っているじゃないか。そう思って悔んだり、恨んだり、悲しんだり…その繰り返しだった」

そして夫婦で反省し、息子さんの今あることを喜ぼうと、心を定めたのです。

数日後、両親にお会いすると、ご主人が「息子はこのままでも構いません。あの部屋から出てきてくれることを諦めたわけではありませんが、とにかく、生きていてくれることを喜ぼうと思います」と言ってくださいました。そしてその半年後、ついに息子さんは部屋から出ることが出来たのです。

私たちは誰しも夢や希望、理想というものを持っています。それがあるからこそ、毎日の暮らしに活力が湧いてくるのだと思います。しかし、自らの行動を顧みることなく、心の入れ替えもせずに、ただ望むばかりでは、それが叶わなかった時、不満や不足が募ってしまうことは目に見えています。

神様のお言葉に、

「理は見えねど、皆帳面に付けてあるのも同じ事、月々年々余れば返やす、足らねば貰う。平均勘定はちゃんと付く」(「おさしづ」M25・1・13

とあります。

自分の思い描く姿に見合うような心の持ち方や、それに伴う行動がなければ、その夢はいつまでも、夢のままで終わってしまうのではないでしょうか。

スポーツの世界でも、人より秀でた成績を残す選手は、日常で間違いなく、その結果に見合った努力を重ねているものです。同じように、「家族円満」という姿を叶えている家族には、それに見合った日常の心遣いや行いがあるに違いありません。家族お互いが、日常の何気ない出来事に対しても、有難いと感謝し、喜ぶ姿があるはずです。

自らの夢や希望や理想を引き寄せる第一歩は、自分自身の中に喜びを見出す努力を続けることではないか。最近、そんなことをつくづく感じています。

 



心を尽くすと

 

奈良県看護協会の代表として、県内の有識者らが集う会議に出席したときのことである。たまたま隣り合わせた女性と名刺を交換した。問われるままに「現役のころは、天理よろづ相談所病院に四十年ほど勤めていました」と言葉を添えると、「私、天理の病院には大変お世話になりました。看護師さんがみんな親切ですよね」と、嬉しそうに話された。

二十数年前、出産して間もないころ、子供さんの状態が悪くなり、救急搬送されたのだという。

「病院に着いてから、何がなんだか分からないまま、不安で胸が押しつぶされそうになって、ホールで泣いていたんです。そこへ、メガネを掛けた看護師長さんが来られ、横に座って、『大丈夫ですよ。ここには、心臓の悪い子供さんたちがたくさん入院していますが、みんな頑張って良くなっています。幸い、あなたの子供さんの心臓病は軽いものです。先生方が、ちゃんと治してくださいますよ』と、背中をなでて慰めてくださいました。真っ暗だった目の前に、やっと明かりが見え、救われました。あのときのことは、いまでも忘れていません」

その話を聞いて、ドキッとした。実は、私は長い間、心臓病の患者さんが入院される病棟で勤務していたのだ。その方の子供さんが入院された年を伺うと、私が病棟師長をしていた時期と一致した。

「そのメガネの看護師長は……たぶん、私です……」

そう打ち明けると、「まあ! なんという巡り合わせでしょう!」と驚かれたが、すぐに会議が始まり、話は中断した。会議終了後も、彼女は興奮冷めやらぬ様子だった。

「恩人を探してもらうテレビ番組を見るたびに、『私もいつか、あの看護師長さんを探してもらってお礼ができたら……』と思っていました。こんな偶然があるなんて……。私もあれから、自分も誰かの役に立ちたいと思って頑張ってきたんです」

申し訳ないことながら、そのときのことが全く思い出せなかった。思い出すのは、患児の母親から苦情を頂いたりした、つらい場面ばかり。たくさんの患者さんが入院され、心臓カテーテル検査や手術を受け、緊急あり、急変ありの嵐のような毎日。「もう少し看護師がいれば、十分な看護ができるのに」と何度思ったことか―。

そんな日々のなかの出来事だったのだろうが、その方がずっと忘れずにいてくださったのに、自分が全く覚えていないことに恐ろしさを感じた。けれども、「憩の家に来られた方には、絶対に喜んで帰っていただこう!」との思いで、その時々にできる限りのことを、自分なりにさせていただいてきたつもりだ。自分では忘れてしまっていても、親神様はちゃんと受け取ってくださっていたのだろう。そう思い直して「良かった……」と、胸をなでおろした。

 

  にちにちに 心つくした ものだねを

  神がたしかに うけとりている

  神がたしかに うけとりている

          (おうた7番『心つくしたものだね』)

 

この「おうた」が、自然と心に浮かんだ。時間切迫、多重課題が迫りくる臨床現場で、いまもあえぎながら、より良い看護を追求している後輩たち。大変だろうけれど、目の前の患者さんに心を尽くすことを忘れなければ、きっと大丈夫!

帰りのバスで、杖をついた高齢の婦人に席を譲った。「私、バスはあまり乗ったことないの。どうやって支払うの?」と不安そうにおっしゃる。やがて、駅に到着。両替をして支払いを済ませ、バスを降りるところまで付き添わせていただいた。

「奥さん、ありがとう! ありがとう!」

ほのぼのとした気持ちに胸が満たされた。この出会いに感謝した。

「親神様、幸せをありがとうございます。看護ようぼくとしての病院勤務は卒業しましたが、これからも毎日の出会いを大切に、人さまに尽くしていきます……」

さわやかな風が、駅舎を吹き抜けた。

(終)

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