第1280回2024年5月3日配信
そこにある幸せ
家族が毎日、食卓を囲んで談笑できる。この有り難い姿を「当たり前」と思ってしまう自分がいる。
そこにある幸せ
大阪府在住 山本 達則
アラブの寓話に、このようなものがあります。
ある人が、自宅の前で這いつくばって何かを探していました。そこを通りかかった友人が「何をしてるんだい?」と尋ねると、その人は「家の鍵を失くしたから探しているんだ」と答えました。そこで「それは大変だ」ということで、友人も一緒になって同じように這いつくばって鍵を探し始めました。
ところが、二人で一生懸命に探してもなかなか見つかりません。友人が「その鍵はどの辺りで失くしたんだ?」と聞くと、その人は「家の中だ」と答えました。「それなら、なぜ家の中を探さないんだ?」と友人が再度尋ねると、「家の中で探すよりも、ここの方が明るくて探しやすいから」と。
家の中で失くしたと分かっている鍵を、家の中は暗くて探しにくいから、明るい家の外で探しているという、何ともバカバカしい話です。でも、私はこの寓話と出会って、日常生活の中で見失いがちな大切なことを教えられたように感じました。
私たちは日常、「当たり前」の連続の中で生活しています。例えば朝、目が覚めること。仕事に行くこと。家族で食事ができること。家族がそれぞれの立場で、無事に一日を過ごしてくれること。そして、当たり前のようにそれぞれがうちに帰ってくること…。数え上げればきりがないぐらいに、当たり前の中で日々を過ごしています。
でも、それらのことは、本当に「当たり前」なのでしょうか。朝を迎え、家族それぞれが一日を過ごす中に、本当はありとあらゆる奇跡が起きているのでは?と感じることがあります。
学校で、どんな一日が子供たちを待っているのか?辛い思いをしたり、悲しい思いをしたり、不慮の事故に巻き込まれてしまうことも、絶対にないとは言い切れません。仕事で思い通りに事が運び、納得のいく一日を送れるかも、誰も保証はできません。穏やかだった近所のお付き合いが、何かのきっかけで崩れてしまい、そこで生活するのが辛くなることだって、絶対にないとは言い切れないと思います。
それらの可能性が、数えきれないほどたくさんの奇跡によって回避され、今日も家族が食卓を囲んで談笑できる、家族円満の姿がある。それには本当に、感謝しかありません。
でも、私たちは時に、幸せというものを見つめる場所を見誤ってしまうことがあります。もっといい家に住みたい、もっと豊かな生活を送りたい、もっといい車に乗りたい、もっといい仕事に就きたい…。暗い家の中よりも、こちらの方が明るくて探しやすい世界のようです。
もちろん、誰にでもそんな希望や欲求があり、それは決してダメなことでも責められることでもありません。それらの感情があるからこそ、向上心が芽生え、生きる活力が湧いてくることもあると思います。ですが…順番があるのです。
天理教では、「まいたるたねハみなはへる」というお言葉があります。
喜びの種を蒔けば、さらなる喜びの芽生えを見せて頂ける。反対に不足、不平、不満の種を蒔けば、その後でさらに喜べないことが目の前に現れてきてしまう。そう教えられます。
私自身、日常で感謝に値することを当たり前としか感じられず、何か思いもよらないことに出会った時に、不満を感じてしまう。知らず知らずの間に、そんな感情が身についてしまっているところが確かにあります。しかし、見方を変えることができれば、そこには間違いなく感謝できることがたくさんあります。
「決して当たり前ではない、感謝に値すること」。それに目を向けるのは実は簡単なことではなく、反対に目の前にある「足らないこと」に目を向けることの方が簡単なのかも知れません。
幸せな日常を求める場所は、探しやすい明るい場所であるとは限りません。たとえ探しにくい暗い所であっても、まずは「今ある感謝できること」を探していきたいと思います。そうすることが、誰もが求めてやまない「幸せを実感すること」への最短距離ではないかと思います。
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