第1252回2023年10月20日配信
胎盤に一礼
出産に必要不可欠な胎盤。その働きにいつしか尊敬の念が芽生え、役目を終えた胎盤に一礼するようになった。
孤 食
普段から独りで食事をする、「孤食」の人が増えています。現在日本では、全世帯の三分の一以上が独居世帯、いわゆる「ひとり暮らし」で、その人たちが孤食なのは当然ですが、実は家庭内でも孤食化が進んでいるのです。
昔は、家族全員が食卓に着くまでは箸を持たせてもらえなかったものですが、今では帰りの時間がバラバラでもそれほど気にすることなく、帰ってきた順に一人ずつ温め直して食べるのが当たり前になっているようです。
孤食の反対を、共に食べる「共食」と呼びます。ある大学の調査によると、子供の頃の共食体験がしっかりしている人は、大人になってからも食事の時間が楽しいと思う傾向があり、また「三食きちんと、栄養のバランスを考えて」というように、食事に対する意識も高いという調査結果が出ています。
では、「独りで食べるご飯は美味しくない」というのは果たして本当でしょうか。せめて鏡に自分の姿を映して、それを見ながら食事をすれば味は変わるのか。そんな面白い実験が行われています。
結果は、たとえ鏡に映る自分の姿であっても、それを見ながら食事をすると美味しさが増すというものでした。これは、高齢者であっても若い世代であっても同様の結果が出ており、「擬似共食効果」と名付けられました。鏡の前で一人で食事をする光景は、なんとなく物悲しい気もしますが、誰かと食事を共にすることが、想像以上に私たちの心に影響を及ぼすということが分かります。
天理教の教会では、神様に供えたものを「お下がり」として、家族や信者さんと共にいただくことが日常の中に定着しています。特に、毎月一度の祭典日「月次祭」の日には、祭典後にお下がりを調理していただく「直会(なおらい)」と呼ばれる食事の席が設けられます。教会に寄り集う者が、神様と共に楽しく過ごすひと時であり、この直会を楽しみにしている信者さんも大勢おられます。
誰かと一緒に食事ができるという環境が、どれほど幸せなことか。いま一度噛みしめ、感謝すべきではないでしょうか。
胎盤に一礼
助産師 目黒 和加子
「アハハ。目黒さん、また胎盤にぶつぶつ言いながら頭下げてるわ~」
私を指差して笑うのは、ナースの近藤さんです。
ここは産科医院の裏手にある胎盤専用冷凍庫の前。
「なんでいつも胎盤に深々と頭を下げるん?なんか変やでえ」
「感謝の気持ちを表してんねん」
「感謝の気持ち?なんで胎盤に感謝なん?」
「胎児に栄養と酸素を送って、胎児の老廃物を受け止める働きを産まれる寸前までやってくれてんで。胎盤のおかげで胎児がすくすく成長できたんやから、感謝しかないやん。ねぎらいとお礼を伝えんと申し訳ないやんか」
「捨てる胎盤に『お疲れ様でした。ありがとうございました』って言うて、頭下げてるんや。アハハ~。目黒さんの胎盤愛、やっぱり変やわ」
リスナーの皆さん、胎盤を知っていますか?
卵子と精子が卵管で出会い、くっつくと受精卵ができます。その受精卵がコロコロと卵管を転がって、子宮の中に飛び降りてきます。その受精卵が運よく子宮の壁にへばり着き、その場でうずもれると妊娠が成立します。これを着床と言います。
そして、着床したその場所に胎盤がつくられます。お母さんの臓器である子宮の中に、胎児のためだけの臓器が期間限定でつくられるのです。
胎盤の役割は、母体から栄養と酸素を胎児に与えること。そして、胎児の出す老廃物を受け取って母体に戻すことです。胎盤は、胎児の成長に必要不可欠な生命線とも言えます。
助産師になって間もない頃、夜勤で早剥に当たったことがありました。早剥とは常位胎盤早期剥離の略語で、子宮壁にくっついている胎盤が、いきなり剥がれる病気です。妊婦のお腹はカチコチに硬くなり、激痛を訴えます。
胎児は急に酸素がもらえなくなり、数分で命が危ない状況に陥ってしまうのです。胎盤が剥がれたところからは母体血が噴き出し、子宮内は血の海となり、妊婦は失血状態。母と子の命がごく短時間で危機的状況になる恐ろしい早剥! 胎盤が剥がれ切る前に、一刻も早く超緊急帝王切開をするしか、たすける手立てがありません。
早剥と診断がつくや否や「急げー!」と、医師の大声が診察室に響き渡りました。私は妊婦さんをストレッチャーに乗せ、手術室へと走る!走る!走る!
通常なら麻酔をかけた後、お腹を丁寧に消毒してから切開しますが、この時は消毒液をバシャバシャッとぶっかけ、急いで手術開始。先生のメスさばきはものすごいスピードで、あっという間に子宮が現れました。いつもは褐色をしている子宮が青白く、石のように硬く、血液が溜まってはじけんばかりに大きくなっています。
先生が子宮にメスを入れたと同時に、羊水混じりの血が噴き出し、シャワーのように降ってきました。先生も私も血みどろで、血の海になっている子宮の中から急いで赤ちゃんを取り上げましたが、わずかに心臓が動いているだけ。ぐったりして産声をあげません。まるで紫色のお人形のよう…。
スタッフは直ちに蘇生法を開始。すると「むぎゅ、むぎゅ」と唸るように声を出し、ついには「オギャー」と元気に泣いてくれました。大量出血したお母さんには輸血をし、母も子もギリギリのところでたすかりました。
子宮の中を見ると、なんと胎盤の五分の一が剥がれずに、しっかりと子宮の壁にへばりついていました。赤ちゃんは、ここからほんのわずかでも酸素をもらえたおかげでたすかったのです。
先生がその部分を丁寧に指で剥がし、私が受け取りました。その時、胎盤から強烈に伝わってきたのは、最後まで命をつなぐことを諦めず、役割を全うした達成感というのでしょうか。凛とした何かが私の中に電流の如く流れ込み、背筋の伸びる思いがしたのです。それ以来、胎盤に尊敬の念を抱くようになりました。
お産後、産婦さんに胎盤を見てもらうと、大概顔をしかめて、「うわっ、肉のかたまりや。気持ちわるー」と言うので、私は次のような説明をします。
「見た目はグロテスクやけど、胎盤ってめっちゃすごいねんで。『血を分けた我が子』って言うけど、赤ちゃんはお母さんから血を分けてもらってないねん。お母さんの血液型がA型、お父さんがB型、赤ちゃんがB型やったら、お母さんのA型と混じると、お母さんも赤ちゃんも命が無くなるねんで。胎盤の中に母と子の血液が混じらんように、必要な物質だけを移動させるすごいシステムがあんねん。親指ぐらいの大きさの赤ちゃんが、段々育っていくのは胎盤のおかげ。胎盤は胎児の成長のためだけの臓器やから、赤ちゃんが産まれてしばらくしたら、子宮の壁から自然に剥がれて出てくるねんよ。それがこの胎盤やで」
すると、産婦さんの表情が一変します。
「えー、そうなんや。胎盤のこと、今までよう知らんかった。この胎盤が私からの栄養を赤ちゃんに送ってくれてたんや。胎盤ってすごい!気持ち悪いなんて言うてごめんなさい」
さらに、ビニール袋に入れた胎盤を手渡し、「これはあなたの子宮から出てきたんよ。あなたの子宮の中の温かさやで」と伝えると、「うわ~、あったかい」と、愛おしそうになでたり、胸の上にのせて温かみと重みを体感したり、聞いたばかりの胎盤のすごさをご主人に伝えたり。そんな微笑ましい姿が見られます。そして、胎盤と別れる際には「おかげさまで元気な赤ちゃんを授かりました。ありがとうございました」と一礼してくれるのです。
12月の薄暗い夕方、その日は夜勤。職員通用口に向かって歩いていると、胎盤専用冷凍庫の辺りに人影を見つけました。よく見るとナースの近藤さんが、ビニール袋に入れた胎盤に頭を下げているではありませんか。
伝わってたんや、胎盤愛!
(終)