(天理教の時間)
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第1276回2024年4月5日配信

人生最大のラッキー

目黒和加子先生
目黒 和加子

文:目黒 和加子

第1162回

人事を尽くして天命を待つ

命の現場に立つ助産師としての心構え。それは、全力をかけて努力し、あとは静かに天命を待つのみ。

 人事を尽くして天命を待つ

 助産師  目黒 和加子

 

今から24年前、看護学校を卒業しました。その卒業謝恩会での出来事です。

卒業生30名がステージに上がり、どんな看護師になりたいか、それぞれ一分間スピーチをしました。ほとんどの学生が、「患者さんに寄り添い、精神的な支えとなる看護師になりたい」と言いました。

すると、スピーチが終わるや否や、看護部長が予定外にステージの上に立ち、目を吊り上げて大声でこう言い放ったのです。

「命あっての精神でしょ! 命が無くなったら精神もなくなるのよ。どうして誰も、人事を尽くして命をたすけるナースになるって言わないのよ!」

若い頃、救急救命センターのバリバリナースだった看護部長の怒りの一言! この時はビックリしただけでしたが、助産師になってこの言葉の意味を思い知ることになるのです。

「人事を尽くして」に続く言葉は、「天命を待つ」ですね。この言葉の意味は、「自分の全力をかけて努力したら、その後は静かに天命に任せること」。

お産の最前線に立つ私の心構えは、「人事を尽くして天命を待つ」そのもの。今回は、その全力の中身と天命の待ち方をお話しします。

陣痛室にいるのは、産婦とご主人と私。陣痛がきたら産婦の腰をさすり、呼吸法を指導します。痛みが治まれば水を飲ませ、リラックスを促し、体力の消耗を最小限にとどめるよう援助します。優しく励ましつつ、時にはカツを入れ、産婦の心が折れないように応援することも必要です。

そして、また陣痛がきます。初産婦さんの場合は、このサイクルを一晩中繰り返すのです。産婦もご主人も私もヘトヘト。当然、情が移り産婦が妹のような、娘のような気持ちになります。陣痛で苦しんでいる姿に、早く出産を終わらせて楽にしてあげたいという思いが湧いてくるのです。産婦に寄り添う温かい情の心は必須です。

しかし、この「情」が分娩経過を客観的に見る目を曇らせます。分娩の進行が順調か、危険は迫っていないか、先を判断する冷静な心を持つことが必要。情だけで命はたすけられません。助産師も心身の疲れがピークになると、感情の軸がぶれ、クールに分娩経過を見ることができなくなります。

こういう時は、他のスタッフと交代し、外に出て深呼吸。気持ちを切り替え、陣痛室に戻ります。ホットとクールの感情を使い分けることで、正しい見方が可能になるのです。

陣痛室で、産婦、ご主人、助産師の三人で過ごす時間によって信頼関係は構築されます。三人でたすけ合いながら、険しい山を登っている感じです。

「カリスマ」というのが世の中で流行っているようですが、助産師は決してカリスマになってはいけないと考えます。産婦が「助産師に産ませてもらった」と感じるお産にならないよう、産婦が主体性を持ち、「自分で産んだ」と確信できるお産になるよう援助してこそプロ。お産は妊娠の終了であり、子育ての始まりでもあります。産婦の達成感が、子育てのスタートへとつながるのです。

ある日の分娩室。日勤から夜勤へと替わる17時に難産がありました。胎児心拍は一気に低下し、ほぼゼロに近い状態です。分娩室には医師一人、助産師三人、看護師一人。この医院には手術室がなく、緊急帝王切開ができません。吸引分娩の装置も鉗子分娩の器具もないのです。このタイミングで大きい病院に救急搬送しても、もう間に合いません。

お母さんに酸素マスクをあてて深呼吸させても、胎児心拍は地面すれすれの低空飛行。医師は産婦のお腹を押しますが、胎児はジリジリとしか降りてきません。助産師も看護師も大声を出し、産婦に全力で息むようにカツを入れまくります。

「頑張れー!」「全力やでー!」「底力出して!」「赤ちゃんも頑張ってるよ!」スタッフの声が飛び交います。この時、私たちはどんな顔になっていると思いますか?全員、阿修羅の顔です。

この分娩室にいる5人のスタッフは、それぞれに信仰を持っています。職場ですから信仰の話はほとんどしませんが、お互いに何となく気づいています。宗派はバラバラですが、どんな信仰においても、目に見えない力を信じていることでは共通しています。

白衣の胸ポケットに常にお守りを入れて仕事をしているナースは、ポケットをちぎれんばかりに握りしめています。時折天井を見つめている助産師は、おそらく先年亡くなられたお父さんにたすけを求めているのでしょう。命の修羅場と化した分娩室で、各自が必死の祈りで見えない力を揺り動かそうとしているのです。

助産師の中には、難産の分娩介助に当たった経験がなかったり、当たったことがあっても何とかなった。だから、これからも何とかなると思っている人が少なからずいます。

命にかかわる大出血のお産や、仮死状態で産まれた赤ちゃんの蘇生を経験した助産師の話を学びとして受け取らず、「私は大変なお産に当たらないで良かった。あなたは運が悪かっただけだ」と。今、目の前のお産でそれが起きるかもしれないのに…。

近ごろ、助産師自身が危険の予測を怠り、対応する能力が落ちてきていると感じます。無事に産まれるのが当たり前という慢心があるのではないかと、心配になることがあります。

お産の際、助産師が人事を尽くし、天命を待つ実際をまとめてみましょう。

助産師は技術を磨き、知識を更新し続ける職人であることが基本です。その職人技に自信を持ってお産に臨むこと。「自信がある」と聞くと、謙虚さが感じられず、高慢に受け取る人もいるでしょう。しかし、分娩介助に自信のない助産師に取り上げて欲しいと、誰が思うでしょうか。

謙虚な姿勢と自信が無いのとは別。本当の謙虚さとは、プロとしての限界を知っていることです。誤解を恐れずに言うと、過信と紙一重のギリギリのところまで職人としての経験と自信を身に付けること。

命をたすけるための知識と技術と精神を身に付け、それに助産師自身の人生経験が加われば、決して裏切られることはありません。あとは、それをお産の現場で出し切ることです。

お産は赤ちゃんにとって生きて産まれるか、その逆かの命の瀬戸際です。産婦の人生も、お産で終わってしまうことだってあるのです。

「命あっての精神でしょ! 命が無くなったら精神も無くなるのよ。どうして誰も、人事を尽くして命をたすけるナースになるって言わないのよ!」

看護部長の怒りの言葉が、何十年経っても電流となって体中をめぐります。

お産にたずさわる助産師は、生と死の境界に立つ者として人事を尽くしきり、魂の祈りを貫き通す人であって欲しいと望みます。

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