(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1243回

必サツ!小言封じ

せっかくの徳積みも、不足を言ってしまえば差し引きゼロ。妻の指摘に、まったく返す言葉がない。

性格は変わる

 

世の中には面白い研究をしている人がいるものです。先ごろ、犬の性格や特徴の違いは、犬種、犬の品種の違いとはほとんど関係がないという研究結果が、アメリカで発表されました。

例えば、ヨークシャーテリアやプードルは人懐っこく、ペットに適していて、ドーベルマンは獰猛なので近づかないほうが良い。犬種ごとにそんなイメージが浮かびますが、それは必ずしも決定的な特徴ではないとのこと。

それらは犬種の違いからくるのではなく、育った環境などによる犬それぞれの個性だといいます。つまりどんな犬でも、闘犬として戦うように育てられれば気性は荒くなり、優しく可愛がってあげれば、おとなしい犬になるということでしょう。

ところで、人間は血液型によって性格に特徴があるという説があります。A型は几帳面、B型はマイペース、O型は大ざっぱ、AB型は個性的、などなど。逆に、血液型による性格の違いはないという見解もあって、そもそも人の性格は実に多様で、四種類に分けるのは不可能だというのも、至極最もな意見です。

そして何より、自らを正そう、変えようとする本人の強い意志で、性格は変えられるものだということです。現実には、生活環境の変化や年齢など、外的な要因が一つの契機となって、自らの努力によって人格が磨かれていくことが多いのではないでしょうか。

皆さんの身近にも、若い頃は短気で怒りっぽかった人が、年とともに温厚になっていったという例があると思います。また、人の上に立つことで性格が変わったり、病を得て人への優しさに目覚める人もいるでしょう。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」の教えには、性格をあらためるように促すものがいくつもあります。

おつとめで唱える「みかぐらうた」では、

  むごいこゝろをうちわすれ
  やさしきこゝろになりてこい (五下り目 六ッ)

と教えてくださいます。
また、ある時は、生来気の短い青年に、

「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや」(教祖伝逸話篇 123「人がめどか」 )

とお諭しになりました。

自分はこんな性格だから仕方がない、と開き直ってしまっては進歩がありません。神様から心を自由に使うことを許されている私たちですから、心を入れ替えることによって、性格だって変わらないはずはないのです。

 


 

必サツ!小言封じ

 岡山県在住  山﨑 石根

 

今年の一月末頃でした。十年に一度の大寒波が日本列島を襲った日、雪道の中を帰路に着いた私は、大急ぎで車から荷物を降ろしていました。

その時、慌てていたからでしょうか、自分で開けた車のドアに、自分の顔をぶつけてしまいました。それが思いのほか痛く、うずくまっていると、妻が心配そうに駆け寄ってきてくれました。

「わあ、痛そう」と言う妻に、「それがさあ、今日、これで三回目なんよ」と、私はその日にあった出来事を伝えました。

朝、天理市の宿泊施設でトイレに入った時、便器の横にトイレットペーパーの切れ端が落ちているのを見つけました。

「こんなん、落とした人がその時に拾ったらいいのに…」

私はぶつぶつ不平を言いながら、しゃがんでそれを拾い、立ち上がろうとした時、トイレの壁にある台に頭をぶつけてしまったのです。これが思いのほか痛くて、この時も声を出してうずくまったのでした。

また、その日の午後にも、作業中に事務所のカウンターで頭を打ったのです。この時も私は、「せっかく親切でしている作業なのに、割に合わないなあ」と、心の中で小言をつぶやいていました。

それがあっての極めつきの三回目だったので、私はついていないその日の出来事を妻に聞いてもらったのでした。

すると妻は間髪入れず、「小出しで良かったやん!」と私に言ったのです。きょとんとする私に、「ホンマやったら大きな事故か病気で大変な目にあうところを、神様が三回に分けて小出しにしてくれはったんやんか~」と言うのです。

そう言われてみると、ハッと気づくことがありました。トイレの時も、事務所の時も、そして荷物を降ろす時も、全部私がぶつくさ文句を言った後の出来事でした。三回目の時も、雪で急いでいる中、玄関にあった子どもの荷物が邪魔だったので、「ちょっと~、ちゃんとしまってよ!」と、子どもに注意をした後のことだったのです。

何だか不足を言う度に神様からお叱りを受けていると感じ、落ち込んでいる私に対して、妻は一回のきついお仕置きではなく、小出しにしてくださって良かったじゃないかと言うのです。

なるほど、悟り上手、思案上手、喜び上手だなぁと、そのような指摘をしてくれる妻のことを、同じ信仰を持つ者として何だか頼もしく感じたのでした。

ずいぶん前にも、次のようなことがありました。ある夏の暑い日に、私が天理市に向かって山道を運転している時のことです。

見るからに今、交通事故が起きたばかりの状況で、乗用車同士が正面衝突し、進行方向の車線をふさいでいました。事故を起こした側の運転手と思われるお年寄りは、呆然と車の前に立ち尽くし、もう一台の方の運転手と思われる若い男性が、自ら交通整理をしていました。

私も暇だった訳ではありませんが、時間に多少余裕があったので、協力した方が良いと思い立ち、車を脇にとめ、反対車線の交通整理を始めました。

それから10分ほどしてパトカーが到着しました。降りてきたおまわりさんが、「ありがとうございます!どんな事故でしたか?」と尋ねてきたので、「僕は当事者じゃないんです。片側一車線になっていたので交通整理をさせて頂いています」と伝えると、「暑い中、ありがとうございます!すぐに応援を呼びます!」と、とても誠実に対応してくださいました。

ところが、同じく10分ほどして応援に駆けつけてきた今度のおまわりさんは、どこか不愛想に、「はい、もういいですよ」とだけ私に伝え、すぐに交通整理を始めたのです。

別にお礼を言ってもらうためにやった訳ではありませんが、当然感謝されるものと思い、何なら「いえいえ、とんでもございません」という返事を心の中で準備していた私は、拍子抜けをしてしまいました。

そして、少し腹が立ってきて、車に戻るや否や妻に電話をし、今起こった出来事についての愚痴を吐き出しました。

「暑いのを耐えながら一生懸命やったのに、お礼の一言もないんやで!どう思う?」と語気を強める私に対し、妻は、「あぁ、石根君。積んだ徳が勘定済みやなあ」と、笑いながらため息をついたのでした。

妻が言うには、せっかく良い行いをしても、最後に小言を言ってしまうと、積んだ徳が不足をした分で差し引かれ、勘定がゼロになってしまうとのこと。

これもまた、私たちの信仰でよく耳にする悟りの一つなのですが、自分事になるとつい忘れてしまう恥ずかしい有り様に、返す言葉がありませんでした。

妻はいつでも、絶妙のタイミングで神様のお話をしてくれるのです。

さて、今回、災難を小出しにしてもらうというご守護を頂戴した私は、それからしばらくの間は、ことある度にこの話を蒸し返されました。

思い通りにならずに腹を立て、「もう、どうして?」とか「何でやねん」と私が小言を言おうとする度に、「ほらほら、石根君。また、頭打つで! 積んだ徳が勘定済みになるで!」と妻が返してきます。

これぞ妻の必サツ技!「小言封じ」なのです。

(終)

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