(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1221回

ゴミに感謝を

初めてのおぢばがえりで体調を崩した佐藤さん。さぞ残念かと思いきや、とても貴重な体験だったという。

ゴミに感謝を

              青森県在住  井筒 悟

 

私は毎月、青森から奈良県天理市まで、人類のふるさと「ぢば」に参拝をするために向かいます。一か月間無事に過ごすことができた感謝の心と、たすけてほしいと願う方々の気持ちも一緒に運んでいます。時には、一緒に参拝したいという方をお誘いします。

先日、ご婦人のMさんをお連れしました。Mさんの息子さんはがんや心筋梗塞など、何度も大きな病気を経験しました。そのたびにMさんは、息子をたすけて欲しいと教会へお願いに来られます。

教会でつとめるおつとめには、生かされている日々への報恩感謝の気持ちでつとめる「お礼のおつとめ」と、病気や困った出来事で悩む方々の治まりを願う「お願いづとめ」があります。

お願いづとめは、突然頼まれることが多いので、日々の心の準備が欠かせません。人様のことを祈るには、自分の心を反省するところから始まります。自分自身を顧みて、積んでしまった心の「ほこり」を払います。すると、不思議に病んでいる方の苦しさが身に迫ってきます。

Mさんの息子さんは、お願いするたびにご守護を頂き、たすかっていきました。他にも、このお願いづとめによって平癒された方がたくさんおられます。大病された方が今も元気で過ごしている姿を目の当たりにし、祈りにはものすごい力があると兼ねがね感じています。

そして、Mさんに限らず、たすけていただいたお礼にと、神様のお鎮まりくださる「ぢば」に参拝される方も多くおられるのです。

私の叔父の清孝(きよたか)さんは、人を誘っておぢばがえりをすることを、長年にわたり信仰実践としています。叔父が、以前勤めていた信用金庫の上司だった佐藤さんや先輩、同僚を誘い、五人でおぢばがえりをした時のことです。気心知れた仲間と過ごす楽しい旅のはずが、天理に到着した途端、佐藤さんが急に熱を出し、激しい腹痛を訴えたのです。同行した人たちは、佐藤さんの看病に追われました。

宿泊先の信者詰所の方々も、様々に世話どりをしてくださいました。叔父も何度も神殿に足を運び、神様にお願いをしました。しかし、その甲斐空しく、佐藤さんの症状はますます悪化し、天理よろづ相談所病院「憩の家」へ搬送されました。

叔父は辛かったと思います。人類のふるさと「ぢば」へ意気揚々と仲間をお連れしたのに、その中のリーダーが体調を崩し、同行した皆さんが看病に追われているのです。何のためにここまで来たのか? 初めてのおぢばがえりを喜んでもらえなかったと、自責の念に苛まれたことでしょう。

病院に運ばれた佐藤さんは、一日の入院で状態が落ち着き、何とか青森に戻ることができました。旅行好きな佐藤さんからすれば、初めて奈良まで来たのにおいしいものも食べられず、観光地も散策できず、さぞ残念な気持ちだったろうと思います。

ところが、佐藤さんの感想はまったく違いました。とても感動したおぢばがえりだったと言うのです。体調を崩したからこそ、気づけたことがあったと。自分が苦しんでいた時の、信者詰所の方々の優しさや、治療に当たった「憩の家」病院のスタッフの温かさ。初めて訪ねた土地で体調を崩し、病院にまで運ばれれば普通は不安になりますが、病室で横になっている間も、母親に抱かれているような、何ともいえない安心感に包まれていたと言います。

このおぢばがえりの後、佐藤さんが叔父に会社設立を提案しました。佐藤さん曰く、「おぢばで体験した、母親の温かさに包まれているような雰囲気の会社を作れないだろうか。そして、事業を通じて、清孝さんのよく言う『徳を積む』ということが実践できるような会社にしたい。私が資金を出すから、清孝さんには是非社長をやってもらいたい」

佐藤さんの提案に、一緒におぢばがえりをしていた他の三人も賛同して株主となり、トントン拍子でリサイクル業の会社が立ち上がりました。

きっかけは、佐藤さんが「憩の家」病院の廊下で目にした「護身に感謝」という言葉でした。まもるという意味の守護の「護」に、からだを表わす「身」と書いて「護身」。捨てられてしまったゴミも、元々は自分の身を守ってくれたもの。そのゴミに感謝を捧げようという意味です。

新会社の看板には、「ゴミに感謝」と大きく掲げられました。初めは、奈良市から払い下げてもらったトラック一台で始めた小さな会社でした。それが、社員やお客さんに喜んでもらう、それだけを考えて経営してきた結果、今では地元青森になくてはならない企業へと成長しています。小さな町に、たくさんの雇用も生まれました。

町のあちこちで、この会社の緑色のトラックとすれ違うたびに、「護身に感謝」というフレーズが思い浮かびます。

もし、おぢばで佐藤さんが体調を崩していなかったら、憩の家病院に運ばれていなかったら、この町に緑色のトラックが走ることはありませんでした。

佐藤さんはその後、何度もおぢばに足を運びました。一見辛く、苦しい出来事にも、神様は計り知れない親心をおかけくださっています。成ってくることの不思議さと、お導きの深さに、ただただ胸を打たれるばかりです。


 

十八才の若者へ

 

十八才と言えば、人生で最も多感な年ごろです。無鉄砲に思い切った行動に出ることもあれば、悩み深きゆえに、ふさぎこんでしまうこともあるでしょう。自分はどんな人間なのか、何をすべきなのかを考え、人生の進路を決めていく時期でもあります。

多くの若者を温かく見つめ、導いてこられた、天理教教祖・中山みき様「おやさま」。今とは時代は違いますが、当時の十八才の若者にどのような言葉を掛けられたのでしょうか。

明治十五年七月、大阪在住の小松駒吉(こまつ・こまきち)さんは、導いてもらった信心の先輩と一緒に、初めておぢばへ帰らせて頂きました。当時流行していたコレラを救けて頂いてから、間もなくのことです。教祖は駒吉さんに、次のように仰せられました。

「大阪のような繁華な所から、よう、このような草深い所へ来られた。年は十八、未だ若い。間違いのないように通りなさい。間違いさえなければ、末は何程結構になるや知れないで」(教祖伝逸話篇103「間違いのないように」)

このお言葉を聞いた駒吉さんは、どのような意味か理解できなかったようです。宿に着いてから先輩に尋ねると、「年が若いから、女性について気をつけるようにとのことであろう」と諭されました。当時の大阪は、水路を利用した交通の要所として大いに栄えていました。首都・東京に次ぐ賑やかな町で、誘惑も多かっただけに、このようなお言葉をくださったものと思われます。

また、明治七年のこと。教祖は、お屋敷で糸紡ぎをしていた十八才の西尾ナラギクさんに、このようなお言葉を掛けられました。

「ナラギクさん、こんな時分には物のほしがる最中であるのに、あんたはまあ、若いのに、神妙に働いて下されますなあ。この屋敷は、用事さえする心なら、何んぼでも用事がありますで。用事さえしていれば、去のと思ても去なれぬ屋敷。せいだい働いて置きなされや。先になったら、難儀しようと思たとて難儀出来んのやで。今、しっかり働いて置きなされや」(教祖伝逸話篇37「神妙に働いて下されますなあ」)

いずれのお言葉にも、若いがゆえの間違いを起こさぬよう、真っ直ぐに通ってほしいという親心が込められています。何より若者には、教えを心の拠り所とし、元気な身体を使って精一杯働くことを望んでおられたのではないでしょうか。(終)

 

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