(天理教の時間)
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第1311回2024年12月6日配信

彼女に足らなかったもの

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1218回

我が家はみんなの実家

元里子が出産を終え、我が家へ一か月の里帰り。うちを実家として頼ってくれることは、この上ない喜びだ。

我が家はみんなの実家

滋賀県在住  池戸 剛

 

「ただいま~!」
「あ、おかえり!待ってたよ~」

元里子の日奈子(ひなこ)が初めてのお産を終え、一カ月間の里帰りをしに、旦那さんと赤ちゃんと一緒に我が家へ帰ってきました。

「日奈子姉ちゃんおかえり~」
「おめでとう!」
「わあ、赤ちゃんちっちゃい!かわいい~」

子どもたちや里子たちが次々に玄関へやって来て、賑やかにお出迎えです。それから、みんな揃って神殿へ行き参拝。私が「出産おめでとう!ゆっくりしていってな」と言うと、優しい旦那さんが「一カ月間お世話になります」と、丁寧に挨拶をしてくれました。すやすやと眠っている赤ちゃんを囲んでいると、自然に家族の会話も弾み、教会の雰囲気が一段と明るくなりました。

日奈子が四歳の時に里子として来てくれてから、もう24年が経ちます。彼女は我が家で初めて預かった里子で、私たち夫婦にとっては妹のようでもあり、子どものようでもある、そんな存在です。

二十歳で里子としての措置が解除されてからも、教会に住み、そこから仕事に通っていました。子どもや里子たちの話に耳を傾けたり、遊びに連れて行ってくれたりするので、子どもたちからの信頼も厚く、日奈子が帰ってくると何より子どもたちが喜んでいます。

もちろん私たち夫婦にとっても、日奈子が家庭を持ち、赤ちゃんを連れて里帰りしてくれること、我が家を実家として頼ってくれていることは、この上ない喜びです。

我が家には、日奈子の他にも、縁あって教会に住んでいた元里子たちが、折々に「ただいま」と帰ってきてくれます。私たちとしては元気な顔を見せてくれるだけで十分なのですが、子どもたちへのお土産や、教会へのお供え物を持ってきてくれたり、中には恋人を連れてきて紹介してくれる子もいて、私たちを喜ばせてくれます。

そして、帰ってくる彼らにとって何よりの楽しみは、妻の作るご飯をみんなで賑やかに食べること。皆口を揃えて、「やっぱり実家のご飯は美味しいわ~」としみじみ語ります。また、大人になった彼らと、お酒を飲みながら近況を話したり、教会にいた時のことを語り合えるのは、私にとって里親冥利に尽きます。

帰る時には、お米や野菜など、神様のお下がりをたくさん持たせて、「またいつでも帰っておいで」と、家族みんなで見送ります。

こうした元里子たちの姿をお手本にして、いま教会にいる子どもたちも、「ここはいつでも帰ってきていい場所、頼っていい場所なんだ。教会を出た後も、今度は私たちがここにいる子どもたちを喜ばせてあげよう!」と思ってくれれば、教会家族の輪はどんどん広がっていくと思うのです。

しかし、教会を出た後、なかなか連絡の取れない子もいます。その彼は、里子の時から何かと心配事が尽きなかった子で、ある時期から、電話をしてもLINEをしても、ちっとも返信が来なくなりました。「あの子、仕事どうなってるんやろう。お金回ってるんやろうか?」夜、子どもたちを寝かしつけた後、夫婦でそんな会話になることもしばしば。

ある日の夜、思い立って電話をすると、ようやく出てくれました。

「おお、元気か?どうしてるんや?」
「お兄ちゃん、全然連絡せんとごめん。いま僕も電話しようと思っててん」

現状を聞くと、なかなか大変そうです。しかし、私たち夫婦の心の中は、「生きてくれてさえいたら大丈夫!」という気持ちです。「明日、教会へおいで」と約束をして、電話を切りました。

初めは連絡しないことを怒られると思ったのか、どこか落ち着かない様子でしたが、子どもたちの大歓迎を受け、妻の作ったご飯を一緒に食べているうちに、安心した様子に変わりました。彼なりに悩んで、私たちに心配を掛けまいと必死に頑張っていた様子が伝わってきました。

いずれにしても、良いこともそうでないことも、何でも打ち明けて頼ってきてくれることは嬉しいものです。里子を終えた後の彼らの長い人生を、実家の親として、できる限りのことをしながら見守っていきたいと思います。

さて、神様が私たち人間を創られた場所である「ぢば」。私たちにとって、ぢばへ帰ることは、ふるさと、親元へ帰ることです。ぢばへ帰らせて頂くと、いつも温かく包み込まれる思いがします。

そして、天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、お姿こそ拝することはできませんが、今もご存命でお働きくださっています。ぢばに帰り、教祖にご挨拶させて頂くと、いつも言い知れぬ感激に打たれます。

里子たちが私たち夫婦に何でも話してくれるのと同じように、私は教祖に身の回りに起きたことを、愚痴も含めて、包み隠さずご報告させて頂きます。それは、小さな子どもが何でも素直に話してくれるのが親として嬉しいように、私の正直な思いを教祖が受け止めてくださると信じているからです。

私たちを優しく包み込んでくださる教祖のような大きな親心で、これからも子どもたちを見守っていきたいと思います。

 


 

大阪で婚礼が

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」をめぐって、こんな逸話が残されています。

 

明治十五年三月のある日、土佐卯之助さんは、信仰に対する両親の猛烈な反対に苦しみ抜いた揚げ句、神様の鎮まるお社を背負い、他に何一つ持たず、妻にも知らせず、忽然と徳島・撫養の地から姿を消し、大阪で布教を始めました。

家に残してきた妻・まささんのことを思い出すと、たまらない寂しさを感じましたが、大阪に出ておぢばに近くなったのが嬉しく、教祖にお目にかかるのを何よりの楽しみにしていました。

ある春の日、卯之助さんは暖かい日射しを背に受けて、お屋敷で草引きをしていました。するといつの間にか教祖が後ろにお立ちになって、ニッコリ微笑みながら、こう仰せられました。

「早よう大阪へおかえり。大阪では、婚礼があるから」

卯之助さんは、「はい」と返事をしたものの、結婚と聞いて思い当たる人はありません。謎のような教祖のお言葉を頭の中で繰り返しながら大阪の下宿へ帰ると、玄関に女性の履物が脱いであります。妻のまささんでした。

まささんは、卯之助さんの胸にすがり付き、顔をうずめて泣き入るのでした。やがて顔をあげたまささんは、「私と、もう一度撫養へかえって下さい。お道のために、どんな苦労でもいといません。今までは、私が余りに弱すぎました。今は覚悟が出来ております。両親へは私からよく頼んで、必ずあなたが信心出来るよう、道を開きます」と、泣いて頼みました。

卯之助さんは、今、国へ帰れば情に流されてしまうと思い、一言も返事をしませんでした。その時、卯之助さんの脳裡にひらめいたのは、おぢばで聞いた教祖のお言葉でした。土佐家への復縁などは思いもしませんでしたが、よく考えてみると、大阪で嫁をもらう花婿とは、この自分であったかと、初めて教祖のお言葉の真意を悟らせて頂くことができたのです。

「自分が、国を出て反対攻撃を避けようとした考え方は、根本から間違っていた。もう一度、国へかえって、死ぬ程の苦労も喜んでさせてもらおう。誠真実を尽し切って、それで倒れても本望である」と、ようやく決心が定まったのです。(教祖伝逸話篇 99「大阪で婚礼が」)

 

どんな道を通るにも、それぞれ苦労が伴います。中でも自分の信じる道を家族に反対されるのは、最も辛いことに違いありません。

家族の反対を避け、一度は大阪へ出た卯之助さんですが、たすけ一条の心は真実そのものでした。だからこそ教祖は、夫婦の絆を固く結び直してくださったのではないでしょうか。

夫婦、親子、きょうだいという間柄は、距離が近いゆえに危うさも抱えていますが、神様が結んでくださったかけがえのない縁であることを忘れずに歩みたいものです。

(終)

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