(天理教の時間)
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第1311回2024年12月6日配信

彼女に足らなかったもの

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1217回

恩師からのメッセージ

かつてある教会で世話になったという男性が、10年経って私の教会にお礼に来た。その恩を忘れない姿勢に感動した。

恩師からのメッセージ

 岡山県在住  山﨑 石根

 

ある日の夕方、夫婦で一息ついていると、子どもたちが見ているテレビから、それとなく聞こえてきたのが、「ありがとうございます!このご恩は一生忘れません」というアニメの中の台詞でした。

何かとよく耳にする感謝の言葉ですが、「一生忘れないなんて、なかなか出来んよなぁ」と私がつぶやくと、妻も大きくうなずいていました。

その時、ふと私は、ある出来事を思い出したのです。それは数年前のお正月、13日の昼下がりのことでした。

私が出先から戻ると、教会の門の下で、妻が見慣れない年配の男性と話しをしていました。私も会話に加わると、70代だというその男性は次のような話をしてくれました。

その日からちょうど10年前、日付も同じ13日のこと。四国でお遍路さんの巡礼中だった男性は、高知県のある町で急に足に激痛が走り、その場で全く身動きがとれなくなったのです。困った男性は、たまたま目の前にあった天理教の教会を、すがる思いで訪ねました。

するとその教会のご家族が、お正月の忙しい時にもかかわらず親切にしてくださったという、何だか同じ信仰をしている私たちが嬉しくなるようなお話しでした。

具体的には、お雑煮をご馳走になったり、若い息子さんが教会にあった古い自転車を修理して、貸してくださったりしたおかげで、何とか自宅までたどり着いたということでした。

その時に、男性はその教会の会長さんから、「私たちへのお礼は必要ありません。その代わり、地元に帰ったら、必ず近くに天理教の教会があるはずだから、元気になったらその教会にお礼の参拝に行ってくれませんか」と、お願いされたそうなのです。

「あのお雑煮の味が忘れられんでなあ、この教会の前を通る度に一度お礼の参拝を…と思いながら、ついつい10年も経ってしもうた…」と、申し訳なさそうに話す男性に、私は「いえいえ、10年かかっても恩を忘れずにこうして教会に足を運ばれたんですから、素晴らしいですよ」と伝えました。

そして神殿に上がってもらい、神様のお話をさせて頂いたり、一緒にお礼の参拝をしたり、病気の平癒を願うおさづけも取り次がせて頂きました。

こうして遠くの教会で受けたご恩を忘れず、10年の歳月を経て私たちの教会にお礼に訪れてくださったという素敵なご縁に、私たち夫婦はとてもあたたかい気持ちになったのでした。

ちなみに、これには後日談があります。私が高知県のある教会長さんにこの話を伝えると、すぐに思い当たる教会に連絡してくれました。ところが、男性が訪れたのは15日だった点や、お雑煮ではなくちらし寿司だった点、他にもいくつか男性の記憶違いがあり、私は少しズッコケたのです。とは言え、この話が本当だったことが裏付けされ、高知県の教会の皆さんの親切心に、あらためて頭の下がる思いがしました。

神様のお言葉に、「大恩忘れて小恩送るような事ではならんで」(「おさしづ」M3424)とあります。

私たちは日々、色々な方のお世話になりながら生きています。こうした人間同士の恩はもちろん大切で、その都度お礼を言ったり恩返しをしたりするのは、いわゆる礼儀だと思います。しかし、神様から身体をお借りしているという、もっともっと大きな恩を忘れてはならないよ!と、このお言葉で厳しくお教え頂くのです。

日々常々たまわるこの身の内のご守護、そして私たちを取り巻く自然界の営みにおける神様の大恩は、一分一秒休みなくあります。そして世界中のどこを見渡しても、神様のご守護のない場所は一つもありません。

だからこそ、私たちは毎朝毎夕、おつとめを通して神様にお礼を申し上げるのですが、24時間ずっと感謝し続けるのは難しいというのが本音です。

そこで、冒頭の「一生忘れないなんて、なかなか出来んよなぁ」というつぶやきになるのです。

夫婦でそんな思い出話をしながら、また、もう一つ思い出しました。

「そう言えば、宮﨑先生がお亡くなりになってもうすぐ10年だけど、そろそろ十年祭の時期じゃないかなぁ?」

 私の恩師に宮﨑伸一郎先生という、教会長をつとめながら臨床心理士のお仕事をされている方がおられました。高校生の時に先生に出会った私は、先生に憧れて大学で臨床心理を勉強しました。

生前、宮﨑先生は、私が悩んだり道に迷った時には、心理学の話ではなく、決まって「おかげ様」の話をして下さいました。

「石根、奥さんや家族にきちんと感謝してるか? 石根がこうして色々活躍できるのもな、周りの〝おかげ様〟があるからなんだ。それを絶対忘れちゃダメだぞ!」と。

考えてみると、恩とは目に見えない、形のないものです。見えないものだからこそ、しっかりと感じる心を育てなければならないのでしょう。

恩を一生忘れないようにすることが難しくても、節目節目でその恩を思い出すために、故人の年祭というものがあるのかも知れません。神様の恩、人の恩、気づきにくい「おかげ様」の恩を忘れるなよ!という、宮﨑先生からのメッセージを再びもらったような気がした私の足は、自然と神殿に向かい、親神様、教祖、祖霊様に手を合わせたのでした。

「おかげ様で、今日も感謝しながら通らせて頂いております。このご恩は一生忘れません」

 


 

おさしづ春秋『谷足加重』

 

 春の理を始めたるなれば、静かの心を持ちて、静かの理を始め聞くという。(M23・5・15)

 

痛いような風の冷たさに、ふと、若い頃に仲間と行ったスキー場を思い出す。私はいつもへっぴり腰で、ついに上手くはならなかったが、はるかな雪原は気が突き抜けるように爽快で楽しかった。

初めてスキーを履いた日、スキーは「谷足加重」が基本だとおそわった。初心者は急な斜面でスピードが出はじめると、つい怖さに腰が引けて斜面の山側に体重がかかる。そうなるとスキーはコントロールを失い、止まることも曲がることもできずに暴走してしまう。

斜面では常に進行方向である谷側の足に体重をかけて前のめりになること、すなわち「谷足加重」によってスキーがコントロールできるのだという。と、いうは易しで、実際にやってみるとどうしても足腰がおじけづいて、〈スキーとは恐怖との闘いである〉と悟ったような断案を下す始末である。

もうスキーに行くことはないだろうが、人生も「谷足加重」が大事だと思う。安きに流されぬよう、しんどいほうにしっかりと体重をかけて、前のめりに生きてこそコントロールを失わずにいられるのだろう。勝ち負けなどではなく、いい人生にするためのコントロールである。

惨たる闘病生活を綴った『病牀六尺』の中で正岡子規は、「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」と記している。

お言葉の「静かの心」とは決して楽々の局面ではないだろうと思う。重心をドンと神様のほうにかけて、急な斜面にさしかかるのである。

(終)

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