(天理教の時間)
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第1283回2024年5月24日配信

じいちゃんにまた会える日

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関根 健一

文:関根 健一

第1211回

あの日があったから

30年前、教会の神殿が全焼した。先を案じる父に、恩師の先生が心の指針を与えてくださった。

あの日があったから

 滋賀県在住  池戸 剛

 

今から30年前の114日早朝のことです。

「お父さん、お父さん、火事っ!」

母の父を起こす声が聞こえてきました。

「えっ?どこが?」
「こっ、小屋が燃えてる!」
「えっ!!」

その声を聞いて、当時中学一年生の私はビックリして飛び起き、すぐにきょうだいたちを起こしました。慌てて玄関から外へ出て神殿を見ると、神殿裏の小屋から出た火が、私たち家族が寝ている神殿二階の軒にかかっていました。

辺りはまだ真っ暗で、燃え上がる火が異様に明るく感じられました。

「運べるだけ運びだそう!」

パチンパチン、と木が燃える音が響く中、父が神様にお詫びの参拝をしました。そして、急いで家族で手分けをして、神様が鎮まるお社やおつとめの鳴物をワゴン車に運び込みました。間もなく消防車が到着しましたが、残念ながら神殿は全焼しました。

早朝の火事でしたが、幸いにも両親と私たちきょうだい、住み込みのおばさんの教会家族は全員無事に避難することができ、神殿以外の平屋の建物も無事でした。

私たちきょうだいは、茫然自失の状態で近所のおうちに避難させてもらいました。しばらくして、離れて住んでいる祖父母が駆けつけてきました。祖父の「お~、みんな、無事だったか~」という声を聞いた途端、張り詰めていたものが緩み、みんなの目に涙があふれました。

一方、父と母は、祖父と祖母が布教に歩いてお与え頂いた神殿が目の前で燃えてしまい、自責の念を感じていました。ましてや「ようきぐらし」の看板を掲げている教会が火事を出したことを、世間の人は何と言うだろうか。いっそ、神様のお社と一緒にどこかへ逃げてしまいたい。父はそう思ったそうです。

神殿が燃えてしまい、これから教会や家族の生活はどうなっていくんだろう、と子どもなりに思いました。そんな中、私たち家族の信仰上の恩師である先生は、父にこんな話をされました。

「火事で神殿がなくなったということは、あんたは教会長から一布教師にならせてもらったんや。こんなありがたいことはないで。苦労の中を通らせてもらおうと思っても、今の結構な世の中では難しい。こんな時こそ低い心で、子どもたちと一緒にしっかり苦労させてもらいなさい」

私は父からその話を聞いて、不思議と先への不安が和らいだことを覚えています。教会を預かる立場として、一信仰者として、両親も心が折れそうになったに違いありません。しかし、その中で、恩師の先生から心の指針をアドバイスしていただき、苦しい中にも神様の親心を感じ取ることができ、心を切り替えられたのだと思います。

火事の後、六畳の客間に仮の祭壇を作って神様をお祀りしました。神殿二階の生活スペースもなくなり、布団も洋服も燃えてしまいました。しかし、近くの閉鎖された病院から布団を頂き、着る物も近所の皆さんが持ち寄ってくださいました。他にもあらゆることを皆さんがいつも心にかけ、たすけてくださることが本当に嬉しかったです。

家族は、神様のおられる部屋のすぐ隣の部屋に布団を並べ、父は押し入れで寝ていました。確かに狭くはなりましたが、わずかでも生活する建物が残ったおかげで、家族全員が教会に留まることができました。皆で布団を寄せ合って寝ることにも、不思議に楽しさと安心感があり、不自由はあまり感じませんでした。火事で物は少なくなりましたが、それによって味わえる幸せもあるということに気づかせてもらいました。

私たちの身の回りにある、神様からのたくさんのお与え。そして、家族や周囲で支えてくださる方々の存在。そのような幸せの原点を、火事という大きな出来事を通して教えて頂いたのだと、30年経った今、あらためて感じるのです。

さて、神殿が復興されるまでには五年の歳月がかかりました。その間、両親はさらに人だすけに励み、信者さん方も何かにつけて心を寄せてくださいました。神殿復興に至るまでには、渡り廊下やお風呂、ブロック塀などは自前で作り、子どもたちも一緒になって手伝いました。新しく建つ予定の神殿の図面を見ているだけで夢が広がり、毎日わくわくしていたことを覚えています。

新しい神殿が完成した時、私たち家族や信者さん方は感激で涙が止まりませんでした。

「神様、今日のこの喜びのために、火事という出来事を見せてくださったんですね。ありがとうございました」

高校三年生になっていた私は、涙ながらにそうお礼を申し上げました。

30年前のあの日があったから今があり、この信仰がある。当たり前の毎日が、本当にありがたく思えるのです。

 


 

遠方から子供が

 

寒い夜、仕事から帰宅すると、すでにあったかいお風呂が沸いています。お風呂から出ると、温かい食事、そしてふかふかの布団。これすべて、今日も一日お疲れ様、という労いから来る「先回りの気遣い」です。これがあるからこそ、辛い仕事も頑張れるんですね。

この「先回り」ということについて、天理教教祖・中山みき様「おやさま」の、次のような逸話が残されています。

 

ある日、熱心な信者であった立花善吉さんは、その頃の誰もがそうであったように、大阪から歩いておぢばへ帰って来ました。野を越え、山を越え、およそ40キロの道のりを歩いて、さあ、もうひと辛抱という所で元気が出て、得意の浄瑠璃のひと節を語りながらお屋敷を目指しました。

そうしてようやく教祖にお目にかかると、教祖は、善吉さんを見るなり、「善吉さん、良い声やったな。おまえさんが帰って来るので、ちゃんとお茶が沸かしてあるで」と仰せになりました。

このお言葉を聞いて、善吉さんは、教祖が見抜き見通されていたことへの驚きと、温かい心配りへの感激に、言葉も出なかったといいます。(教祖伝逸話篇94「ちゃんとお茶が」)

 

また、明治十六年のある日、一人の信者がお餅をお供えにやって来ました。側の者がこれを教祖のお目にかけると、教祖は、「今日は、遠方から帰って来る子供があるから、それに分けてやっておくれ」と仰せになりました。

側の者たちが、一体だれが帰って来るのだろうか、と思いながら、お言葉通りにそのお餅を残しておきました。するとその日の夕方になって、静岡方面へ布教に行っていた四人の者が帰ってきました。しかも話を聞くと、四人はその日の昼頃、伊賀上野へ着いたので、お昼にしようか、とも思ったところを、いや、少しでも早くおぢばへ帰らせて頂こうと辛抱してきたので、足の疲れもさることながら、お腹がたまらなく空いていたのです。

四人が、教祖の親心こもるお餅を頂いて、あまりの有り難さに涙にむせんだのは言うまでもありません。(教祖伝逸話篇119「遠方から子供が」)

人は疲れた時、ちょっとした優しい気遣いに心を打たれ、生きる活力を得るものです。教祖は、寄り集う者たちの姿を見抜き見通され、分け隔てない親心をもって、誰もが満足するようにお気遣いくださいました。

私たちも、何気ない気遣いで、少しでも人さまに喜んでもらえるよう努めたいものです。

(終)

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