(天理教の時間)
次回の
更新予定

第1278回2024年4月19日配信

東京スカイツリーから、こんにちは ~母と子の絆は永遠です~

吉永先生
吉永 道子

文:吉永 道子

第1201回

ただいま、おかえりが言える地域に

私が小さい頃、近所の公園には紙芝居を見に多くの子どもが集まった。公園は現存するが、当時の活気はない。

ただいま、おかえりが言える地域に

和歌山県在住  岡 定紀

 

前回の放送で、熊本地震の復興支援バザーを行ったところ、地域の方々が喜んで協力してくださり、それが後に、こども食堂を始めるきっかけになったことをお話ししました。参加した子どもたちからの「次はいつするの?」との声に元気をもらい、「楽しみにしてくれているんだから、私も頑張らないと」と、気合いを入れてこの活動を続けています。

私は昭和48年、第二次ベビーブームの真っ只中に生まれた、いわゆる団塊ジュニア世代です。この年の出生数は210万人もあったようですが、それ以降どんどん減っていき、昨年は81万人と、およそ半世紀で4割弱にまで減りました。また、私の住む和歌山県は、すでに3人に1人が65歳以上になり、全国でも特に少子高齢化が進んでいる地域となっています。

私が子どもの頃、もう40年も前になりますが、放課後の公園では大勢の子どもが元気に遊び回っていました。公園には時々、紙芝居のおじちゃんがやって来ました。当時すでに紙芝居が回ってくる公園は珍しかったと思いますが、私はそのおじちゃんを手伝って、紙芝居が始まる前に、拍子木を打って近所を回ったことを覚えています。

拍子木といえば、「火の用心」と声を張り上げ、練り歩く光景が思い浮かびますが、紙芝居の時には「皆さん、こんにちは~。もうすぐ紙芝居が始まりますよ~」という挨拶も兼ねた合図になっていたのです。

すると、その拍子木の音を聞いて、家の中で遊んでいた子どもたちも公園に出てきます。大勢の子どもたちが集まる中には、お年寄りの姿もあり、幼い頃を懐かしむような目で見ておられたものです。

これは私が子どもの頃の楽しかった思い出の一つですが、そのような大人と子どものふれ合いのある地域で育ったのは、とても幸せなことだったと思います。

現在、私には小学生の子どもがいます。私が幼い頃に遊んだ公園は、当時の遊具もそのままに今もあるわけですが、あの時の紙芝居のおじちゃんはいません。

確かに当時の賑わいはありませんが、それでも遊んでいる子どもはいます。そんな時に紙芝居とまではいかなくても、何かを通して大人と子どもがふれあう機会が見られたらいいなあと思います。

しかし一方で、それが難しい世の中になっていることを、以下のエピソードから感じています。

うちの子どもたちが通う小学校からは、保護者宛に時折メールで連絡が入ります。メールは、警報が発令されて休校になったり、何らかの事情で下校時間が早くなった時に送信されてきますが、それ以外に頻繁に入るのが不審者に関する情報です。

市内のどこそこに不審者が現れました。身長は何センチぐらい、黒い服を着ています。気をつけてください。というような内容ですが、これが一週間に一回、多い時には二回も来ると、保護者も物騒な地域だなあと不安になり、子どもを外で遊ばせることに消極的になります。

そしてとうとう、私の知人が不審者に間違われたのです。お昼過ぎに下校している子ども達に「お、もう学校終わったんか。早いなあ、おかえり!」と声を掛けたところ、帽子をかぶりマスクをしていたこともあったのでしょうか、不審者として地域に一斉に連絡されてしまったのです。

もちろん彼は不審者などではなく、後に誤解は解けましたが、こんなことが一度でも起こると、大人はますます子どもたちに声を掛けづらくなると思うのです。

子どもの数が減り、大人の割合が増えているということは、いい方向に考えれば、子ども一人を見守る大人の数が増えたことになります。本来なら、昔より余裕を持って子どもを見守れる状況だと思うのですが、現実はそうなっていない。そんな世の中にもどかしさを感じます。

当時、紙芝居をしてくれたおじちゃんは、60歳を超えていたでしょうか。きっと、大勢の子どもが待ってくれていることに元気をもらい、長い間続けておられたと思うのです。

私は今、こども食堂を通して、子どもたちから元気をもらっています。「ただいま」「おかえり」という会話が自然に聞こえてくるような地域を目指して、この活動を続けていきたいと思います。

天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に

おすすめのおはなし